2024年2月号
特集
立志立国
我が立志立国①
  • 政治学博士ロバート・D・エルドリッヂ

元気で強い
日本の復活を
世界は望んでいる

日本復活の鍵は地方創生にあり

〝元気で強い日本〟の実現のために、様々な政策提言を行っているアメリカ人のロバート・D・エルドリッヂ氏。「いればいるほど日本が好きになる」という大の親日家であるエルドリッヂ氏に、世界の目から見た日本の素晴らしさや可能性、そして「失われた30年」と言われる長期停滞に苦しむ日本を蘇らせる処方箋をお話しいただいた。

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世界は強い日本の復活を待っている

——エルドリッヂさんは政治、外交、教育などよりよい日本を実現するための様々な政策提言を精力的に発信しておられます。そもそもアメリカ人であるエルドリッヂさんが、なぜそこまで日本のことを考えてくださるのでしょうか。

一つには、日本が好きで仕方がないということです。もしかしたら何かのわなはまっているのかもしれませんが(笑)、いればいるほど日本が好きになり、「恩返ししなくてはいけない」という気持ちが強くなっていく。実は初めて来日した時は、1年の滞在予定だったんです。それがいつの間にか33年になりました。

——ああ、気づけば33年に。

二つには、特に戦後、日本は世界の発展のために多くの貢献をしてきました。私は仕事で世界50か国を訪れてきましたけれども、まぁ、とある隣国は別にして、ほとんどの国が「強く元気な日本」を望んでいます。
しかし、ここ何十年も日本は停滞し、潜在的な能力を発揮できていない現実がある。ですから、世界の感覚から見て日本ならではのよいところ、かつて持っていたけれどもいまは失ってしまった特性をもう一度見直し、復活させるお手伝いをすることで、混乱しているいまの世界に正しい方向を示す日本に、再びリーダーになってほしいという思いがあるんです。

——エルドリッヂさんが来日したいきさつ、日本に魅せられた理由を詳しくお話しいただけますか。

私は1968年にアメリカ東海岸に位置するニュージャージー州で生まれました。
長じて米国バージニア州のリンチバーグ大学国際関係学部に入学したのですが、学生時代には半年ほどパリに留学してフランス語を学び、欧州連合の研究をしながら冷戦末期の西と東ヨーロッパを旅して回りました。
そうした中で、大学1年の時、大阪府堺市出身の日本人留学生と出会って、親しくなりました。私にとって彼は遠い国から来た異質な存在であると共に、日本という新しい世界を開いてくれたのです。

——日本人留学生との出会いで日本に関心を持つようになった。

日本だけではなく、世界に。例えば、私が学生時代を過ごした1980年代後半は、いわゆる日米経済摩擦が非常に激しい頃で、アメリカ国内の対日世論にはものすごく冷たいものがありました。しかし、だからこそ、激論の対象となっている日本を自分の目で見てみたいと考えたんです。その頃の私は日本にあこがれるというより、アメリカの国益上の観点から日本を冷静に見ていたと言えます。先ほども触れたように、当初の予定では1年ほど滞在して内側から日本を観察し、帰国後は外交官になるか、アメリカの他の政府機関で働くつもりでいました。

——日本にはどのような方法で来られたのですか。

私の来日を助けてくれたのは、文部省(現・文部科学省)と自治省(現・総務省)、外務省が共同し、いまから36年前に創設された語学指導等を行う外国青年招致事業「JETプログラム(Japan Exchange and Teach-ing Programme)」でした。
JETプログラムを通じ、私は兵庫県中央の多可たか郡多可町(旧・中町)の中学校に英語指導助手(現在は多言語化に伴い外国語指導助手)として派遣されることになりました。多可町は「敬老の日」「山田錦」、そして「杉原紙」の発祥地として有名です。これが1990年7月、22歳の時でした。

政治学博士

ロバート・D・エルドリッヂ

1968年アメリカ・ニュージャージー州生まれ。パリ留学を経て1990年にバージニア州リンチバーグ大学国際関係学部卒業。その後、文部省JETプログラムで来日。1999年神戸大学大学院法学研究科博士課程修了。政治学博士号取得。2001年より大阪大学大学院国際公共政策研究科准教授。2009年在沖縄海兵隊政務外交部次長に就任(~2015年)。現在、国内外の数多くの研究機関、財団、およびNGO・NPOに兼務で所属しながら、講演会、テレビ、ラジオで活躍している。国際教育、防災、地方創生に関するコンサルタントとしても活動。『オキナワ論』(新潮新書)『トモダチ作戦』(集英社)『教育不況からの脱出』(晃洋書房)など著書多数。