2026年11月号
特集
夢なき者に
成功なし
対談
  • 志ネットワーク「青年塾」代表上甲 晃
  • Ark館ヶ森会長橋本志津

志こころざしあるところに
必ず
道はできる

100ヘクタール、野球場約100個分に及ぶ広大な敷地に広がるArk館ヶ森(岩手県一関市)。自然や動物たちと触れ合えるだけでなく、生産者が丹精込めて育てた豚肉や羊肉・放し飼い鶏の卵、無農薬野菜などを購入、堪能することができるArk館ヶ森には、年間20万人もの人々が訪れるという。夫で創業者である橋本輝雄氏と共に、今日のArk館ヶ森をつくり上げてきた会長の橋本志津氏、その志に共鳴する志ネットワーク「青年塾」代表の上甲 晃氏のお二人に、夢を実現していく要諦、いのちを育み、日本の明るい未来をつくる農業のあり方について語り合っていただいた。

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    志ネットワーク「青年塾」代表

    上甲 晃

    じょうこう・あきら

    昭和16年大阪市生まれ。40年京都大学教育学部卒業、松下電器産業(現・パナソニック)入社。56年松下政経塾に出向。理事・塾頭、常務理事・副塾長を歴任。平成8年松下電器産業を退職、志ネットワーク社を設立。翌年青年塾を創設。著書に『志のみ持参』『続・志のみ持参』『志を教える』『人生の合い言葉』『松下幸之助の教訓』(いずれも致知出版社)など。

    Ark館ヶ森会長

    橋本志津

    はしもと・しづ

    昭和23年埼玉県生まれ。埼玉県立熊谷女子高校卒業後、養豚業を営む橋本輝雄氏と結婚。養豚業の事業拡大を目指す中でより広い土地を求め、51年岩手県藤沢町(現・一関市)に移住し、㈲橋本ファーム岩手牧場を開設。その後、「食はいのち」の理念のもと、ハーブガーデン、手づくり㈲館ヶ森ハム工房の設立などに取り組み、平成4年に館ヶ森アーク牧場(現・Ark館ヶ森)を開設。創業者の夫・輝雄氏の急逝により13年に社長に就任。21年より会長。

    岩手県のJR一ノ関駅から車を走らせ、川を越え、山道を上がること約40分。対談は大自然に囲まれたArkアーク館たてヶが森もりにて行われた。

    時代を先取りしたArk館ヶ森の実践

    上甲 私が初めてArk館ヶ森を訪れたのは、いまから20年ほど前でした。大手トンカツチェーンの社長を務めていた元もと岡おか健けん二じさんに「志こころざしの実践例としてぜひ見てほしいところがある」と、橋本さんを紹介していただいたんです。

    橋本 ええ、ちょうど、元岡さんにArk館ヶ森の「自然食レストラン ティルズ」の運営についてご指導を仰いでいる時でした。

    上甲 それに、当時は橋本さんのご主人で創業者の輝雄さんが亡くなってまだ間もない頃でしたね。いまでも強く印象に残っているのは、社員の皆さんが創業者のことを「近づけば火傷やけどするような人だった」と話してくれたことです。

    橋本 夫は2001年に亡くなりましたけれども、「俺に近づけば火傷するぞ!」とよく言っておりました。その言葉の通り、本当に夢と志に溢あふれた熱い人でした。

    上甲 私はその時、火傷するほどの情熱溢れる人に会ってみたかったなと思うと共に、創業者の夢と志を受け継ぎ、女手一つで家庭を切り盛りしながら、会社の経営に懸命に努力されていた橋本さんの姿にとても心打たれたんです。
    以来、私が主宰する志ネットワーク「青年塾」では、この自然豊かなArk館ヶ森を学びの場として、何度も講座を開催させてもらいました。特に塾生たちが自分の手で鶏を解体して食し、いのちの大切さを学ぶ体験実習は定番の学びとなりました。また、そのご縁をきっかけに、橋本さんの2人のご子息、長男の晋しん栄えいさん、次男の友とも厚あつさんが「青年塾」の塾生になってくれ、いまそれぞれArk館ヶ森の運営母体である㈱アークの社長、専務として活躍されていることは本当に嬉しい限りです。

    橋本 Ark館ヶ森は、よく豊かな自然や動物たちとの触れ合いを楽しむ「観光牧場」だと思われがちです。でも実際は、私たち生産者が育てた豚・羊・放し飼い鶏の卵・無農薬野菜・有機小麦などを自分たちで加工し、自分たちの手でお客様に提供する〝生産農場〟であり、消費者であるお客様と生産者である私たちがお互いの顔を見ながら交流できる〝ファーマーズマーケット〟なんですね。
    また、後から詳しくお話ししますけれども、グループ会社の「㈱若葉」で有機肥料センターも運営し、養豚場の排はい泄せつ物ぶつやレストランから出る生ごみなどを集めて完熟発はっ酵こうさせて、JAS(日本農林規格)認定された有機肥料をつくっています。
    その高品質の有機肥料を畑の土づくりに使用することで、「育てる」「つくる」「繋つなげる」、そして「循環する」という永続的な循環型農業を実践しているんです。

    上甲 永続的な循環型農業。時代を先取りした取り組みですね。

    橋本 豊かな自然や動物たち、「無農薬無添加」に徹底してこだわった安心・安全なおいしい食べ物を味わい、ショッピングや様々なガーデンも楽しめる。これが多くの人の心を掴つかみ、いまでは年間20万人が訪れる牧場になりました。
    もちろん、現在のArk館ヶ森に至る半世紀の歩みの中では、本当にいろいろな出逢い、紆う余よ曲きょく折せつがありました。それでも続けてくることができたのは、上甲さんがおっしゃったように、創業者が抱いた夢と志を「食はいのち」という理念として大切に受け継ぎ、実践してきたからだと思います。

    100ヘクタール、野球場100個分の広大な敷地に広がるArk館ヶ森の全景

    〝金色の鍵〟からすべては始まった

    上甲 Ark館ヶ森は、まさに断固として貫く志のお手本です。
    きょうは、創業者が抱いた壮大な夢と志をどう実現してこられたのか、ぜひその原点、熱い部分をお聞きしたいと思っています。

    橋本 もともと、夫も私も埼玉県の生まれなのですが、すべての始まりは夫とのお見合いでした。
    お見合いの後、近くの喫茶店で2人だけで会う機会があったのですが、夫はまるで火の出るような勢いで2時間ほど将来の夢を一方的に語るんですよ。その時、「この人を絶対モノにするぞ」と思っていたと、後から聞きました。
    そして最後、「トイレに行ってくる。戻ってきた時に返事を聞かせてほしい」と言って席を立ったんです。両親も結婚を強く薦すすめてくれていましたし、間に入ってくれていた親戚もお膳立てをしてくれていました。私の気持ちも大分結婚に傾いていたのですが、戻ってきた夫はこう言ったんです。
    「Open the door by my golden key」(私の金色の鍵で、あなたの人生のドアを開きましょう)

    上甲 最後に何を言うか、ずっと考えていたのでしょうね(笑)。

    橋本 絶対、事前に用意していたのだと思います(笑)。本当にキザの骨頂ですけれども、その言葉で迫られた私は、最終的に「イエス」と返事をして橋本家に嫁いだわけです。1971年、夫が25歳、私が23歳の時でした。

    上甲 その当時、創業者はどんな仕事をなさっていたのですか。

    橋本 大学を卒業して獣医師の資格を取り、これから畜産業、養豚事業を本格的に始めよう、夢に向かって出発しようという時でしたね。実際、翌1972年、夫は義父と共にアークの前身である「㈲橋本ファーム」を地元の深ふか谷や市で設立しました。私も事前に会社の経理や事務を担ってほしいと言われていましたから、農業簿記を習って嫁入りしました。

    夢を追い続けた創業者の橋本輝雄氏