静岡県三島市の龍澤寺にかつて山本玄峰という名僧がいた。若い頃から眼疾など様々な辛酸を嘗め、努力して禅の師家になった人物で、荒れ果てた同寺を再建した他、その教えは昭和天皇の「終戦の詔勅」にも影響を与えたとされる。96年の生涯を一行三昧に生きた山本玄峰の生き方を、その法統を嗣ぐ後藤榮山師に語っていただく(写真:玄峰老師が復興した現在の龍澤寺)。
龍澤寺専門道場師家
後藤榮山
ごとう・えいざん
昭和5年東京生まれ。20年禅寺にて出家。30年早稲田大学第二文学部哲学科卒業後、龍澤寺専門道場に入門。中川宋淵老師、鈴木宗忠老師に就いて参禅。海禅寺住職などを経て平成20年龍澤寺住職となる。フランスなど海外でも禅の普及に努める他、海禅寺徹心会、東京大学陵禅会で禅指導を続ける。