2024年12月号
特集
生き方のヒント
対談
  • 松陰神社名誉宮司上田俊成
  • ショウイングループ会長田中正徳

吉田松陰
の言葉が教える
人生の要諦

高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋……主宰する松下村塾にて、明治維新の原動力となる多くの志士を育てた幕末の英傑・吉田松陰。その志はいまなお不滅の輝きを放ち、私たちを揺り動かし続けている。明治維新胎動の地・山口県萩市に鎮座する松陰神社名誉宮司の上田俊成氏、吉田松陰の教育実践を生かした学習塾「松陰塾」を全国約300か所でFC展開するショウイングループ会長・田中正徳氏のお二人に、実体験を交え、人生を導きひらく英傑の生き方、言葉を紐解いていただいた。

この記事は約29分でお読みいただけます

対談は10月初旬、前日の荒天から一転、澄み渡った青空のもと、山口県萩市に鎮座する松陰神社立志殿で行われた。

吉田松陰の志が結ぶ二人の縁

田中 上田名誉宮司とは毎月のようにお会いしていますけれども、このような改まった場で対談させていただくのは初めてですね。

上田 そうですね。田中会長さんと最初にお会いしたのは確か……。

田中 いまから10年前、2014年でした。ショウイングループでは、明治維新の原動力となった志士たちを育てたよししょういん先生の教育理念を受け継ぐ学習塾「松陰塾」をフランチャイズ(FC)展開していることもあって、2010年から毎年全社員を連れて松陰神社に正式参拝していました。
その度に神社の境内にある、松陰先生が主宰したしょうそんじゅくを横目に見ながら、いつか建物に上がって見学したいなと思っていたのですが、2014年に神社の方に相談してみたところ、「観光目的で入ることはできないけれども、宮司の講義を聴く学習目的であればよいですよ」と許可をいただきました。「それならば」ということでさっそくお願いし、上田名誉宮司にもお目に掛かり、毎年、正式参拝後に松下村塾内で講義をしていただくようになったんです。
毎回の講義は本当に学びの連続で、私から見れば名誉宮司は〝現代の松陰先生〟というべき尊敬する師であり、その教えにどれだけ導かれてきたか分かりません。

上田 それは言い過ぎです(笑)。でも本当に熱心に講義を聴いてくださって、感心していました。

田中 また、2017年4月に正式参拝をした時、まさか許可いただけるとは思っていませんでしたから、軽い気持ちで松陰先生の顕彰碑を境内に建てたい旨をお伝えしました。すると、上田名誉宮司は「企画書を持ってきなさい」と真剣に受け止めてくださった。
1か月で企画書を取りまとめ、最終的に、松陰先生の門下生を中心に53はしらをおまつりする松門神社の社殿へと続く約80メートルの小道、北参道を「学びの道」と命名し、顕彰碑と25基の句碑(吉田松陰の言葉)を建立させていただくことになりました。顕彰碑の表には「松陰塾」の塾名が入り、松下村塾を継承する塾としてお墨つきをいただきました。
松下村塾は国の史跡であり、2015年に世界文化遺産に登録されていますから、その近くに構造物をつくるには、文部科学省などから許可を得る必要がありました。上田名誉宮司のご尽力なくしては決して実現できませんでした。

上田 田中会長さんは軽い気持ちとおっしゃいましたけれども、受け取る側は大真面目でした。というのは、松陰神社の本殿につながる参道に比べ、北参道は参拝の方があまり通らず閑散としており、かねて何かよい方法はないだろうかと考えていたのです。そこに田中会長さんから素晴らしい企画をいただいたので、飛びついたわけです。
実際、記念碑と句碑に興味を持つ方は非常に多く、いまではたくさんの方が「学びの道」を通ってくださっています。さらに松陰先生の言葉はなかなか理解が難しいとのことで、田中会長さんは句碑の言葉の解説書までつくってくださった。本当に有り難い限りです。
私が思う田中会長さんの素晴らしいところは、松陰先生の教育を深く理解して松陰塾の運営・発展にまいしんされていると共に、素晴らしいアイデアマンであることです。「学びの道」の他にも松陰神社のために様々な提案、貢献をしてくださっている。私のほうこそ田中会長さんを大変尊敬しております。

松陰神社名誉宮司

上田俊成

うえだ・とししげ

昭和16年山口県生まれ。國學院大學史学科卒業。飯山八幡宮宮司、山口県神社庁長、神社本庁理事、山口県文化連盟会長、長門市文化振興財団理事長を歴任。平成15年松陰神社宮司を経て、28年より名誉宮司・顧問に。著書に『零言集』(マシヤマ印刷)の他、『熱誠の人吉田松陰語録に学ぶ人間力を高める生き方』(致知出版社)などがある。

見えない力に導かれて

田中 最近も、名誉宮司には様々な面でお力添えをいただいてきました。2022年4月には、ショウイングループの研修センター「交友館」を萩市内に開館しましたが、敷地が270平米ありましたので、何かイベントができる建物をつくれないかと考え、せんえつながら「松下村塾を模築したい」と相談させていただいた。
さすがにそれはだめだと断られると思ったのですが、上田名誉宮司は快く許可してくださり、さらにミリ単位の極めて正確な実測図まで無償で提供してくださったんです。本当に感激しました。
その実測図をもとに地元の大工さんが丹精込めてつくった松下村塾の模築は、おそらく日本で一番そっくりだと自負しています。

上田 なぜそこまで正確な実測図があるかというと、それこそ台風などで松下村塾が破損すれば、松陰神社にとり致命傷になるからですよ。ですから、いつでも復元できるよう専門家に精密な実測図をつくってもらっていたのです。

田中 また、交友館の名称は松陰先生が、いとこの玉木彦介の元服を祝して贈った「しちそく」の三大要素(三端)、「立志・たっこう・読書」の中の「択交」から名づけました。これは自分を成長させるためには、よき人、よき友と交わりなさいという意味ですが、「択交」のままだと難しいので、現代風に「交友」としたんですね。
交友館ができて以降、新入社員や新たに松陰塾のオーナーになってくださった方には、一人も漏れなく松陰神社の正式参拝、松下村塾の模築での研修を受けてもらっています。やはり松陰先生が生まれ育った萩の空気に触れてもらうことが、当グループ、松陰塾で働く第一歩になると思うんです。
一方、松陰先生の「択交」の教えを実践するために、上田名誉宮司に交友館の名誉館長に就任していただき、月一回、地元の方々を中心とした講話会を開催してきました。今月で28回を数えますが、これからもぜひ続けさせていただいて、交友館が松陰先生の教えを継承し発信していく拠点になっていくことを願っています。

上田 松陰先生がおっしゃる「択交」は、身近な家族や師匠、先輩・後輩だけでなく、自分の身の回りの様々な人たちとの関係を大切にしていき、さらに自分を高めるための交わりを求めていくというのが、本来の意味であると思います。あの人が好き、嫌いで交流する人を選ぶという意味ではまったくないんですね。

田中 それから交友館の建設が進んでいる最中、ある方から藩校・古めいりんかんの跡地を保存してくれないかとお声掛けをいただき、2021年に取得、継承しました。
古明倫館は1719年に五代藩主・毛利吉元が創建し、拡大移転されるまで130年間、藩士をはじめ百姓や町人も広く学びました。松陰先生も11歳の時、古明倫館で藩主への御前講義を行い、その後、約10年きょうべんを執った歴史的にも非常に重要な遺構なんです。

上田 武士に交じって庶民に聴講を許すというのは、当時としては画期的で、長州藩のふところの広さを感じさせます。また御前講義は正確には「しん」といい、藩主と一対一で対面講義を行います。当時松陰先生は数え11歳ですから、いまで言えば、小学四年生が都道府県知事に勉強を教えるようなものです。松陰先生の優秀さは幼い頃から際立っており、藩主も大変目をかけ、松陰先生も藩主に対し敬愛の情を終生持ち続けました。

田中 いまは離れの蔵を改装して宿泊施設「じゅじゅあん」として運営していますが、とにかく重要な場所ですから、今後、松陰先生の教えを継承する場として整備していきたいと考えているところです。
あと、松陰塾は小中学生の学習塾ですから、これを高校生にも拡大しようと、いま萩で通信制の高等学校を設立するべく取り組みを進めています。これもいろいろハードルがあり一度諦めかけたのですが、奇跡的に設立基準を満たすための1,200平米の建物を貸してくださる方が現れたんです。
交友館にせよ、古明倫館にせよ、高等学校にせよ、これはもはや自分の力では全くなく、松陰先生のお導きとしか考えられません。

上田 本当にその通りで、田中会長さんの志を松陰先生が応援してくださっているのだと思いますよ。

ショウイングループ会長

田中正徳

たなか・まさのり

昭和31年福岡県生まれ。福岡大学建築学科卒業。「ショウイン式」創始者。松陰塾FC全国300校舎、生徒数9,000名を擁する大手塾へと成長させた。一般社団法人日本語力検定協会理事長。学校法人萩明倫館高等学校理事長。著書に『松下村塾のつくりかた』『AI時代の衝撃!「教えない学習塾」成功の秘密!!』(共に海鳥社)。令和6年紺綬褒章受章。