2026年7月号
特集
続けてこそ道
インタビュー③
  • ジャパン・ヘンプ・クリエーション代表大森芳紀

国産麻の
存続なくして
日本文化は守れず

古来、神事や祭礼に欠かせないしめ縄、鈴緒などの材料として重宝されてきた日本の麻。時代の変遷に伴い、かつて3万人いた生産者は20人程度に激減した。その逆風の中、栃木県の山間の地で、麻に新たな命を吹き込み続ける人がいる400年以上の歴史を持つ麻農家の八代目・大森芳紀氏だ。麻文化の復活は、日本文化の復興に繋がる――麻の可能性を追究してやまない氏の使命感に迫る。
【写真=神社などに奉納される、黄金色の貴重な国産精麻を背に】

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    ジャパン・ヘンプ・クリエーション代表

    大森芳紀

    おおもり・よしのり

    昭和54年栃木県の麻農家に生まれる。平成9年作新学院高等学校美術デザイン科卒業後、環境美術会社に入社。12年実家に戻り就農。農閑期に熊本へ紙漉き修業に出る。13年野州麻紙工房設立。18年Cafeギャラリー納屋を併設。26年野州麻炭製炭所設立。令和3年㈱ジャパン・ヘンプ・クリエーション設立、代表取締役就任。

    日本の麻づくりを繋ぎ止めて

    ──国内最大の麻産地である栃木県鹿ぬま市で400年以上続く麻農家を継ぎ、日本古来の麻文化を生産者として守り続けている方がいると知り、やってまいりました。

    ここ鹿沼市は国産の麻(せい)の9割を生産していますが、見ての通り山に挟まれた谷間のような地形でしてね。家業が400年続いてきた理由を考えると、この「地の利」が大きいと思います。
    谷間ですから畑を広げる面積は限られますし、土に小砂利が多くて、農地としてはせています。野菜の栽培にはあまり向きません。
    しかし、まず天災のリスクが低いですね。麻は、育つと人の背丈を超えて3メートルにもなるので、強風にまれると編んだように倒れるんですよ。台風が来ても、平地と違って直撃しにくいこの地域は非常に守られています。
    それと、麻は土がよくだと伸びすぎ、倒れて傷つくリスクも増します。この辺の土壌は適度に痩せていて砂利が多く、麻が好むミネラルが豊富です。これも400年続いてきた要因でしょうね。

    ──大森さんは八代目だそうですが、家業の起こりはどういう経緯だったのですか。

    残念ながら過去帳が火事で焼けてしまっていて、よく分かりません。分かるのは400年、麻をやりながら様々な挑戦をしてきたということ。ある時は麻とタバコ、ある時は麻とようさん、麻と質屋……麻づくりは人が手を尽くしたら、後は人には選べない天候との闘いです。すべて、何があっても麻を続けるためにやってきた。こういう歴史だけは聞いています。
    日本人と麻は、知れば知るほど深い関係にあります。神棚や神社に飾るしめ縄、すずの素材として麻は昔から重宝されてきましたし、弓道ならゆみづる、相撲道なら化粧まわしと、「道」がつく世界では未だ至るところに見られます。漁業者が船に麻を「ふなだま」として飾る地域や、「神社」のように麻をまつっている神社もありますよ。

    ──切っても切れない関係にある。

    はい。ただ、1950年代に全国で3万人いた麻の生産者は、戦後の政府による規制や安価な中国産の麻、ビニール素材の流入によって、2021年には27人まで減ってしまいました。しかもほとんどが高齢者です。日本には神社が8万社あると言われますが、そのうち国産麻のしめ縄や鈴緒を使っているところはもう1%程度しかないと言われます。
    最近は神職さんの中にも、本来の原料である麻を知らない、「麻って国産があるの?」という方もいらっしゃいます。何とかこれを本来の国産に戻したい。その使命感で仕事に向き合っています。

    ──しかし、麻はなぜ日本の文化に根づいてきたのでしょう。

    よく聞かれます。私は「日本人と麻が何もない時代から付き合ってきたからではないですか」とお答えしています。1か月先どころか、明日を生きられるか分からない時代、人は常に恐怖を感じていたはずです。そういう中で麻は成長が早くて、繊維にも食用にもなる、衣食住を支えてくれる存在だった。ごく自然に人々の心のりどころになり、いつしか神聖なものになったんだと思います。

    ──ああ、人が日々を必死に生きる中で自ずと。そのような考え方はご両親から教わったのですか。

    いえ、実は20歳過ぎまで、麻のことや家業を特別に意識してはいなかったんです。通学路に麻畑がいくつもあって、友達の家も麻農家という環境でしたから。
    この辺は昔から、古い土器や矢尻がよく出る土地でしてね。私は帰り道でちょっと破片を見つけると、夢中でどんどん畑に入って掘り返してしまう子供でした。〝畑荒らし〟として、えらく近所の人に怒られていました(笑)。
    そのうち陶芸に興味を持って、県内の造形を学べる高校に進学し、美術系の会社に就職。水族館や博物館に展示する化石のレプリカやらステンドグラス、縄文時代の住居の修復・制作など何でもやりました。全国を飛び回って忙しい半面、最先端の素材でものづくりできるのが本当に楽しかったです。

    ──そこからどうして家業に?

    一つひとつの素材への理解を深める前に、次の仕事が来ちゃうんですね。それと、健康に影響はないと明記してある素材を運んでいた同僚が、体調を崩すのを見たこともきっかけでした。
    自分で安心して使える素材を、種から育ててつくりたい。そう考えた時、実家に麻があるなと。ところが両親には、考え直すように言われました。当時農業の世界は、規模を拡大して安定収益を得ようという流れがあって、限られた農地で麻を続けていく大変さが分かっていたんでしょう。
    確かに、昔は道の左にも右にもあった麻畑は随分減っていました。それでも半年ほどかけて説得し、会社を辞めて家に戻りました。2000年、21歳の時です。