2026年7月号
特集
続けてこそ道
インタビュー②
  • タイ国チェンライロータリークラブ元会長原田義之

行動でする奉仕が
子供たちの
未来を開く

タイ北部の山岳地域に住む少数民族・アカ族。彼らは長年様々な迫害を受け、未来に希望を見出せない生活を余儀なくされてきたという。この現実に心を痛め、17年にわたり支援の手を差し伸べ続けてきたのが原田義之氏である。原田氏の信条、そして傘寿を超えてなお現地へ向かい続ける氏の思いに迫った。

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    タイ国チェンライロータリークラブ元会長

    原田義之

    はらだ・よしゆき

    昭和18年福島県生まれ。慶應義塾大学商学部(山桝ゼミ)を卒業後、現・近畿大阪銀行に入行。その後フジマサ機工を経て、ゼオテック社長に就任。平成18年退任。20年NPO法人タイ国学生日本語教育環境支援プロジェクトを設立し、理事長に就任。25年タイ国チェンライロータリークラブ会長に就任。現在、タイ国国立ダムロンラットソンクロ高校日本語教師を務めると共に、タイ少数民族アカ族の就学支援を続けている。

    80歳を過ぎてなお北タイの支援に赴く

    ──原田さんは、長年北タイに住む少数民族・アカ族の支援を続けてこられたそうですね。

    64歳で会社経営から身を退いて、これからは奉仕の人生を生きようと決意しましてね。現職時代に仕事で赴いていたタイで、極貧生活を余儀なくされているアカ族の子供たちのことを知り、2009年から現地へ足を運んで支援をするようになったんです。気がつけば今年(2026年)で17年、私も6月で83歳になります(笑)。

    ──傘寿さんじゅを越えたいまも現地へ。

    「行動でする奉仕」が私の信条ですからね。いまも2か月に1回、約20日間現地に滞在して活動しています。平日はタイ北部の街・チェンライの国立ダムロンラットソンクロ高校(以下、ダムロン高校)で日本語講師のボランティアを務め、週末にチェンライから約20キロ離れた山奥のアカ族の集落へ支援物資を届けに行くんです。

    ──アカ族とは、どんな方々なのですか。

    北タイの山岳一帯に14万人が住むといわれ、長年地勢的な逆境に翻弄ほんろうされ続けてきました。
    彼らは、約800年前にモンゴルの襲来を受けてチベット山中へ移り住みました。生活の手段は焼畑農業で、30年サイクルで南下し、100年ほど前に北タイへ住むようになりました。しかし先の世界大戦後に国境線が引かれ、タイの国に組み込まれた彼らは、移動の自由を制限され、唯一の生活手段であった焼畑を禁止されるなど、様々な差別や迫害を受けて極貧生活を余儀なくされてきたんです。

    ──そのような民族がいたとは。

    さらに大変なのが、言語の問題です。彼らの常用語はアカ語ですが、タイ国に組み込まれたために母国語は馴染なじみのないタイ語になりました。子供が成人してタイ社会で生きていくためには、タイ語の習得が必須ですが、学校は彼らの住む山から何10キロも下りた所にしかないので、とても通学なんかできません。
    日本の皆さんはピンとこないかもしれませんが、母国語ができないまま大人になっていくというのは本当に怖いことなんですよ。彼らはまともな仕事に就けない上に、北タイ一帯はゴールデン・トライアングルといわれる世界的な麻薬取引地帯でしてね。男の子は苦しい家計を支えるために麻薬の運び屋になり、女の子は夜の街で働かされ、そこから売春、エイズ罹患りかんという悲惨な道を辿たどることになるんです。私は、アカ族の子供たちをこの現実から救い出したい一心で、様々な支援を続けてきました。
    支援金を募るために、私はこれまで本を2冊出版し、講演を465回行ってきました。私のささやかな誇りは、いただいた浄財は金額を公にしてすべて支援に投入し、他の目的では一切手をつけてこなかったことです。

    ──集めたお金は、純粋に支援のためだけに投じてこられたと。

    渡航費や現地滞在費など活動に必要な諸々の費用は、自分の貯金や年金で賄ってきました。必要経費はすべて自分持ちというのが私のポリシーなんです。
    奉仕活動にもいろんなやり方があるでしょうけれども、私は対価を求めることなく、ゼロから見える世界を追求してきました。そこには、やった人でないと見出せない本当の喜びがあるんですよ。

    アカ族の子供たちと。彼らの〝輝く瞳〟に強く惹かれ、いまも現地へ支援に赴く