2018年1月号
特集
仕事と人生
  • 経済コラムニスト木村壮次

二宮尊徳
『報徳記』に学ぶ

二宮尊徳の名が世に広く知られるきっかけとなった伝記『報徳記』。そこには数々の復興事業の業績とともに尊徳の教えが高弟・富田高慶の手によって記されている。この度、本書を『超訳 報徳記』として現代に蘇らせた経済コラムニスト木村壮次氏に時代を超え、人のあるべき姿を描いた『報徳記』を紐解いていただいた。

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経世済民の精神

かつて小説家の武者小路むしゃのこうじ実篤さねあつは、二宮尊徳について次のようにうたっています。

「二宮尊徳のことをまるで知らない人が日本人にあつたら、日本人の恥だと思ふ」

また、〝日本の資本主義の父〟と称された渋沢栄一は、「私は、あくまでも尊徳先生の遺されたる4ヶ条の美徳(至誠、勤労、分度、推譲)の励行を期せんことをねがうのである」と述べています。

さらに真珠の養殖に世界で初めて成功した御木本みきもと幸吉は、尊徳の生き方に深い感銘を受け、「海の二宮尊徳たらん」との思いで事業に取り組んできました。

この他にも多くの人物に影響を与えてきた二宮尊徳ですが、その功績が広く世に知られるようになったのは、明治天皇の存在が大きく関係しています。その端緒となったのが、相馬藩藩主相馬充胤みつたねが藩士富田高慶こうけいの書き上げた『報徳記』を明治天皇に献上したことでした。一読、これこそ日本が新たな船出を迎えるに当たって必要な書であると判断された明治天皇は、すぐに全国の県知事に対して読むように指示。これによって全国の役人を通じて世間一般の人々にも広まっていったのです。

生前、二宮尊徳は膨大ぼうだいな日記と書簡を書き記していましたが、まとまった記録は残していませんでした。そのため、尊徳亡き後、各地で行われた再建計画(仕法しほう)を受け継いでいく上で、参考にできる伝記が必要だという話が弟子たちの間で持ち上がったのです。

当初は文筆家に書かせようと、『江戸繁昌記』の著者・寺門てらかど静軒せいけんにまとめさせたところ、弟子たちからは迫力が足りないと不満が噴出。それならばと、筆を執って一気に書き上げたのが、長きにわたって尊徳と行動をともにしてきた高弟・富田高慶でした。

『報徳記』には尊徳の事績が数多く挙げられていますが、そこから浮かび上がってくる尊徳の人生をひと言で表すと、世の中の人々を救う歩みだったと言えるでしょう。私は経済企画庁(現・内閣府)にあって、長く経済を専門に仕事をしてきました。その間、肌で感じてきたのは、昭和を生きた多くの経営者に息づいていた経世済民けいせいさいみんの精神、つまり「民のため」にという経営が、「会社のため」「企業価値のため」という経営へと変容していったことでした。

私が二宮尊徳に魅せられるようになったのは経済企画庁を退職した後のことですが、世界的に経済の効率化が叫ばれる昨今、我われ日本人は経世済民の精神を忘れてはいけないとの思いに駆られたからにほかなりません。『報徳記』には日本の原点とも言える、経世済民の精神が深く刻み込まれているのです。

経済コラムニスト

木村壮次

きむら・そうじ

昭和19年東京都生まれ。東京都立大学卒業後、経済企画庁(現・内閣府)に入庁。退職後は東洋大学現代経営学部教授を務める。最新刊に『超訳 報徳記』(致知出版社)がある。