2025年10月号
特集
出逢いが運命を変える
一人称
  • 浄土真宗本願寺派一行寺前住職那須信孝

生きるとは、拝んで
燃えてとけること

平澤こう先生の生き方

脳神経解剖学の権威であり、京都大学総長を務めた平澤興先生。浄土真宗本願寺派一行寺前住職の那須信孝氏は偶然の出会いから晩年の平澤先生と交流を始め、約10年にわたって師と仰ぎ親炙してきた。そして師との出会いにより、ご自身の生き方が大きく変わったという。今年(2025年)95歳を迎えた那須氏に、平澤先生の貴重な逸話を交えながら、その実像をお話しいただいた。

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    95歳になって分かる平澤先生の教え

    平澤こう先生が亡くなり、早くも36年の歳月が流れました。当時59歳だった私も気がつけば95歳。還暦を迎えるに当たり「これから20年の修行が始まる。本当に人生を楽しむのは80歳からである。90歳にならないと本当の人生は分からない」と教えていただきましたが、先生のお言葉のように長生きをしてきて、ようやく見えてくる世界があることをしみじみと感じています。
    「一日一生涯」

    「朝に希望、夕べに感謝」

    「けさもまた さめて眼も見え 手も動く」
    これらは先生が何気なく語られていた言葉です。「朝」という字を分解すると十月十日、つまり妊娠から誕生までを意味することが分かります。朝新たな気分で目覚め、夜寝る前はゆっくりと湯船に浸かって、豊かで平穏な1日を送られたことに感謝して手を合わせる。そうやって無事に日常生活を送れることがいかに尊くありがたいことか。「一日一生涯」の心境でいられる喜びを噛みしめる毎日です。

    先生もまた、そんな思いで晩年を過ごされていたのでしょうか。30年以上前にお聞きした先生の言葉の一つひとつがこの年になってき活きと実感を持って胸に響いてくるのを感じます。

    平澤先生が88歳の天寿をまっとうされたのは1989年6月17日でしたが、その日の早朝、私は夢を見ました。病床にす先生のもとに多くの人がお見舞いに訪れていて、私が来た途端、先生はガバッと起きて「那須君、私は死なないぞ」と叫ばれるのです。電話が鳴って目が覚めましたが、先生の訃報を知ったのはその時でした。

    先生は前日までロータリークラブの朝食会、お昼の例会に参加され、亡くなった当日も京都大学創立記念日の式典に参加される予定でしたから、突然の訃報に誰もが驚いたはずです。人生の最期のひと息まで完全燃焼された、まさに世のため人のための燃ゆるがごとき88年の生涯でした。

    しんらんしょうにんが臨終に臨んで語られたとされる「一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり」という言葉があります。自分はいつもあなたのそばにいるという親鸞聖人のこの呼びかけの言葉を、平澤先生は好んで口にされていました。「死なないぞ」と夢で伝えられた先生の言葉と、親鸞聖人の言葉は私の心の中で共鳴し、勇気づけてくれます。親鸞聖人と同じく平澤先生もまた常に私の傍にいて共に歩んでくださっている。そんな安心感と喜びに包まれて生きられるのは幸せだと思います。

    平澤 興

    ひらさわ・こう

    明治33年新潟県西蒲原郡味方村生まれ。大正13年京都大学医学部卒業。新潟医科大学助教授を務め、欧米留学後同大学教授、21年招かれて京大医学部教授。26年学士院賞受賞。31年同大医学部長、32年総長となる。38年任期満了により退任。42年日本学士院会員。国際ロータリー265地区(現在は2650地区)ガバナー。45年勲一等瑞宝章受章。平成元年6月17日逝去。語録に『生きよう今日も喜んで』『平澤興一日一言』(共に致知出版社)。著書『論語を楽しむ』が令和7年7月に致知出版社より復刊。

    浄土真宗本願寺派一行寺前住職

    那須信孝

    なす・のぶたか

    昭和5年京都府生まれ。30年京都大学文学部卒業、34年大谷大学大学院修士課程修了、浄土真宗本願寺派一行寺住職などを歴任。著書に『曽我量深の教え 救済と自証~法蔵菩薩は誰か~』(新学社)の他、論文・法話集など。