2022年10月号
特集
生き方の法則
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  • 浅利演出事務所代表野村玲子

演劇の道、一筋に歩む

浅利慶太の思いを継いで

ミュージカルからストレートプレイ(台詞劇)、古典・現代劇に至るまで、俳優として数々のヒロインや主要な役を演じてきた野村玲子さん。現在は劇団四季の創設者であり、演劇の師・人生のパートナーでもあった故・浅利慶太氏の思いを受け継ぎ、俳優業と共に浅利氏が確立した演出や方法論の継承、後進の指導にも力を尽くしている。演劇の道を一途一心に歩んできた野村さんに、人々に感動を与える演劇の極意、よりよい人生を実現していく要諦をお話しいただいた(ンタビューは東京・参宮橋にある代々木アトリエで行われた)。

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汗と涙の結晶 代々木アトリエ

——野村さんは俳優として数々のヒロイン、主要な役を演じ、舞台を通じて多くの人々に感動を届けてこられました。ここ「代々木アトリエ」は、野村さんにとって特別な場所だと伺っています。

劇団四季は1953年に創立されたのですが、最初の頃は自分たちの稽古場を持つことはなかなかかなわなかったそうです。出演料などを貯めた資金を皆で出し合い、創立10年目にしてやっと建てることができたのが、この稽古場・代々木アトリエなんです。
ですから、ここは当時の劇団員たちの汗と涙の結晶であり、劇団四季の数々の名作がこの場所から生まれていきました。

——代々木アトリエはまさに劇団四季の原点なのですね。

昔は劇団四季の附属演劇研究所のオーディションも代々木アトリエで行われていて、私もここで試験や面接を受けて入所しました。当時はここが劇団四季の唯一の稽古場で、私たち研究生は朝早くから掃除をし、午前中に様々なレッスンを受け、午後は本公演のお稽古があったので見学させていただいたり、外のレッスンを受けたり自分の勉強をして、稽古が終わった頃を見計らい、戻って自主練したり……皆で場所を奪い合うようにして稽古しましたね。私個人としてもなつかしい思い出がたくさん詰まった特別な場所です。
ただこの建物ももう60年近く経っていますから、メンテナンスの必要なところも増えてきました。創立メンバーや大先輩方の思いを大切につなげていけるように、できる限りいまの形を残して、これからの人たちのための場にもなるようにしたいと思っています。

——いまはどのようなことに力を入れて取り組んでいるのですか。

劇団四季の創設者であり、演劇の師・人生のパートナー(夫)でもあったあさけいが2018年に亡くなりまして、その後は私がバトンを継いで浅利演出事務所の代表となりました。いまは俳優業と共に浅利演出作品を多くの人にご覧いただけるように上演し、浅利の演技方法論を継承して、後進の育成・指導に尽力しています。
近いところでは、10月22日から29日まで、『アンドロマック』を上演します。いままさに稽古に取り組んでいるところです。

——どのような作品なのですか。

原作は17世紀フランスの劇作家ジャン・ラシーヌで、浅利はこの作品を機に台詞せりふの〝ろうしょうじゅつ〟というものを確立しました。
一日のうちに、一つの場所で一つの物語が展開するという古典演劇の手法が使われていますが、主要な登場人物4人がとにかく長台詞をしゃべっては引っ込み、歌も踊りもなく、舞台装置の転換もありません。ひたすら一つひとつの言葉のニュアンスを丁寧につむいでいくことで、ドラマが劇的になり、登場人物たちの心情がつまびらかに描かれる、まさに朗誦術の極みともいえる作品です。

——なぜ今回、『アンドロマック』を演じようと思われたのですか。

浅利は、「演劇は言葉の芸術だ」と言っておりました。そして『アンドロマック』に取り組む中で、台詞の中にある意識の流れを読み込み、その変化をきちんと表現する方法論ができ上がりました。
ですから、『アンドロマック』を通して言葉の魅力をお客様にぜひ感じていただきたいと思います。それに私たちも、もう一度演劇の原点・基本に返り、言葉だけでチャレンジをしてみたいなと。
『アンドロマック』は、トロイヤ戦争後のギリシアで繰り広げられる男女の恋愛劇です。ぜひ劇場まで足を運んでいただいて、言葉だけで紡がれる人間ドラマを体験していただければと思います。

浅利演出事務所代表

野村玲子

のむら・りょうこ

北海道旭川市出身。劇団四季の舞台『ユタと不思議な仲間たち』の観劇をきっかけに演劇の道を志し、1981年劇団四季附属研究所入所。『エビータ』で初舞台を踏む。『オペラ座の怪人』『美女と野獣』日本初演のほか数々のミュージカルでヒロインを演じる。またストレートプレイ(台詞劇)でも『アンドロマック』『オンディーヌ』『アンチゴーヌ』などタイトロールをはじめ、古典から現代劇まで数多くの作品で主要な役を演じる。2003年劇団四季の創設者である浅利慶太氏と入籍。2015年劇団四季を退団後は、活動の場を浅利演出事務所に移す。2018年より同事務所代表を務める。