2022年10月号
特集
生き方の法則
一人称
  • 「実践人の家」参与浅井周英

森信三『続・修身教授録』
に学ぶ生き方の法則

平成元年の刊行以来、幅広い人々に愛読され16万部を超えるロングセラーとなっている弊社刊『修身教授録』。この度、森 信三先生没後30年記念としてその姉妹本である『続・修身教授録』が出版された。前書同様、「人生二度なし」を根本信条とし、森 信三先生が、大阪天王寺師範学校の生徒に語りかける一つひとつの生きた言葉から、私たちが汲み取るべきものは多い。森先生を生涯の師と仰ぐ「実践人の家」参与・浅井周英氏に本書の魅力について語っていただいた。

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森 信三先生が修身の講義に込めた思い

令和4年は、森信三先生が平成4(1992)年に逝去されてから30年の節目になります。これを記念して、このたび致知出版社から『続・修身教授録』が復刻されましたことを、森先生に教えをいただいた一人として心より嬉しく思っています。

致知出版社より平成元年に刊行された『修身教授録』は、森先生が大阪天王寺てんのうじ師範学校(現・大阪教育大学)本科にて昭和12(1937)年4月から15年3月にかけて行われた講義を全5巻にまとめ、同志同行社より刊行されたものがその底本です。

いまから82年も前に出版された『修身教授録』が、時代を越えていまなお読み継がれ、既に55刷、16万部を超すロングセラーとなっていることは慶賀に値すべきことでしょう。

当時の時代背景を少し述べておきますと、教師を育成する師範学校が明治30(1897)年から各都道府県に設置されるようになりました。入学資格は高等小学校卒で、4年制(後に5年制)。その10年後、明治40(1907)年には大阪天王寺師範学校本科に、中等教育修了者のための2部(1年制、後に2年制)が設置されました。

『修身教授録』の講義の対象者は本科1部生です。当時、家庭の事情で中学へ進学できない優秀な子の中には、お金の要らない師範学校の1部生となるケースが少なくなく、森先生ご自身もまたそうでした。それゆえに先生は1部生に対して「何とかしてこの生徒たちの心を目覚めさせ、立派な教師になるよう応援しよう」という思いをお持ちでした。

森先生は修身の授業において、ご自分がいま、この生徒たちに知ってもらいたいことを心を込めて口述し、その一言一句を生徒全員に筆録してもらうという方法をとられました。そこで取り上げられる内容は、生徒たちが当面する実際問題であり、そこからこの二度とない人生をいかに生きるかを恂々じゅんじゅんと説かれたのです。

当時、修身の検定教科書がありましたが、徳目を並べて解説するもので、真に生徒の心をゆさぶり、魂を目覚めさせる内容になり得ていないと判断された先生は、教科書は机上に置かせながらも、その教科書を使うことはされませんでした。『修身教授録』に収録されているのは、このような本科1部生を対象とした講義録です。

さて、今回、森信三先生没後30年記念として復刻刊行された『続・修身教授録』には、本科2部生を対象として昭和13(1938)年4月から14年3月まで語られた講義内容が収録されています。

2部生は、既に中等教育を終えた生徒たちで、彼らの同級生は、高等専門学校程度の学校に進学している人も多くいました。中学校から高等専門学校に行けば、将来、社会のいかなる分野にも進出していけるのに、彼らは当時、まだ正式な専門学校としては認められない師範学校に進学してきました。いろいろな事情を抱え教育界へと踏み込んできた眼前がんぜんの生徒たちに対して、森先生は一層目を掛け、その教育に力を入れようとされたのです。

「実践人の家」参与

浅井周英

あさい・しゅうえい

昭和11年和歌山県生まれ。35年和歌山大学卒業後、教師となる。50年和歌山市教育委員会に入り、平成4年同教育長、8年より同助役を務める。18年森信三師が創設した「実践人の家」理事長。25年退任。