2022年10月号
特集
生き方の法則
対談
  • 臨済宗円覚寺派管長(左)横田南嶺
  • 愛知専門尼僧堂堂頭(右)青山俊董
禅に学ぶ人間学

いま、ここ、自分を
精いっぱい生きる

共に禅の道一筋に生き、師家として修行僧を導く、愛知専門尼僧堂堂頭・青山俊董師と臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺師。両師が長年禅の修行に励む中で得た多くの気づきは、まさに私たち人間が生きていく上で忘れてはならない法則そのものである。自分に与えられた場をいかに輝かせながら生きるか。両師が厳しい修行を通して掴んだ知恵に学びたい。

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明日の仏教を担う若者たちのために

青山 きょうは遠路、名古屋のそうどうまで足をお運びくださいましてありがとうございます。

横田 とんでもありません。青山ご老師に教えを頂戴ちょうだいするのを楽しみに参上いたしました。また、先日はご丁寧極まるお手紙をいただいて恐縮いたしております。

青山 本来ならば、横田ご老師に塩尻のりょう(長野県にある青山師の自坊)にお越しいただいてご講演をお願いするはずのところ、コロナで中止せざるを得なくなりまして、そのおびのお手紙をしたためさせていただました。

横田 私もお話ができるのを楽しみにしておりましたが、こういう時ですから、致し方ございません。
青山ご老師は大きなご病気をされたとお聞きしていますが、お見受けしたところおすこやかなご様子でいらっしゃいますね。

青山 弟子たちに言わせますと、こうしてしゃべっている限りどこも悪そうには見えないようなのです。しかし、4年前に脳こうそくと心筋梗塞をわずらいまして、昨年(2021)は大腸がん、心臓発作、それから肝臓癌というようにここ数年のうちにいっぱい病気をいただきました。それまで相当無理のきいた体でしたから、病気になっていろいろなことを学ぶことができたことをありがたく思っておるんです。
それも頭で学んでいるのと違って、「お釈迦しゃか様も、私が存じ上げている老師方も最後はこんな思いをされたのか」と体で教えられることが山ほどあります。それこそ、私がよく講演でお話しする「びょうだいさつ」ですわな(笑)。

横田 ああ、病気を避けるのではなく、病気に感謝し、拝む心境で日々を生きていらっしゃる。

青山 周りの者は二度ばかり本気で葬式の準備をしたようですけれども、もう90にもなりますから、人生の締めくくりをと思っているところです。
まぁそれとも関わってくる話ですが、私は今年(2022)に入ってから、そう(横浜・鶴見にあるそうとうしゅう総本山)の西せいどうという役をいただきました。私などがいただける役ではありませんし、立て続けに病気もしましたので一所懸命お断りしたのですが、禅師直々ぜんじじきじきにお電話をいただき、どうしてもと言われまして結局お受けいたしました。

横田 西堂という役は私共のりんざいしゅうにはございませんが、大変高い位だとお聞きしています。

青山 言ってみたら禅師の相談役みたいなものでしょうか。私も毎月、名古屋の尼僧堂と塩尻の無量寺をき来しておりますので、日程を合わせながら月に1回、1泊2日の講座と、6月に修行いたしましたでんこうせっしんでは5日間で10講座を提唱(講義)させていただきました。
私の講座を聴いてくれるのが約100名のうんすい(修行僧)とやくりょう(雲水の指導係)たちです。20代の雲水は私から見たらひこまごみたいなもので、本当に可愛かわいいんです。とはいっても明日の仏教を背負ってくれる人たちですから「頼むぞ」と遺言のつもりで私なりに一所懸命におしゃべりをさせていただいています。自分には分不相応と思いつつ、西堂という役をお受けしたのはその誓願せいがんのためなのです。

愛知専門尼僧堂堂頭

青山俊董

あおやま・しゅんどう

昭和8年愛知県生まれ。5歳の時、長野県の曹洞宗無量寺に入門。駒澤大学仏教学部卒業、同大学院修了。51年より愛知専門尼僧堂堂頭。参禅指導、講演、執筆のほか、茶道、華道の教授としても禅の普及に努めている。平成16年女性では2人目の仏教伝道功労賞を受賞。21年曹洞宗の僧階「大教師」に尼僧として初めて就任。令和4年1月大本山総持寺の西堂に就任。著書に『道はるかなりとも』(佼成出版社)『一度きりの人生だから』(海竜社)『泥があるから、花は咲く』(幻冬舎)『あなたに贈る人生の道しるべ』(春秋社)など多数。

天地いっぱいに生かされているご恩返し

横田 普通、ご老師のような年齢の方が病気をなさると、そのまま寝たきりになる場合も多いかと思いますけれども、こうして復帰をされ本山でも話をなさるというのはやはり常人ではないと感じます。

青山 曹洞宗を開かれたどうげん様が『てん教訓きょうくん』の中で「うんいっけいに競う」とおっしゃっていますね。四運とはたとえれば春夏秋冬であり、人生でいえばしょうろうびょうです。あるいは損得、憎悪などの感情を伴う出来事といってもいいかもしれない。我われ凡夫ぼんぷは困難があると落ち込んだり逃げたり、うまくいったらのぼせ上がったりというのが常ですが、そういういろいろな出来事を「一景」、つまり同じ姿勢で、一歩進んで豊かな景色として楽しんでいけという教えなんです。病気をいただいたことで、その言葉の重みを実感いたしました。
それに加えて、病気になって強く思ったのが仏教で大事にしている「同事」「どう」という教えでした。元気で病人を見舞っているうちはどこか他人事なんですな。自分が病を得ることで、自分のこととしてお見舞いができる。この教えを体で学ぶことができたのも病気のおかげだと思っています。

横田 きょう期せずして私がご老師にお伺いしたいと思ったことの一つが、いまの「同事」についてでございます。仏教では我われ僧侶が衆生しゅじょうにして差し上げる4つの大事なことを「しょうほう」として説いています。「布施ふせ」「愛語」「ぎょう」「同事」です。
「布施」は何かをほどこすこと、「愛語」は優しい言葉をかけてあげる、「利行」は困った人には手を貸してあげるというように分かりやすいのですが、4つ目の「同事」は積極的に何かをするというよりも、もっと深いものがございますね。この教えをどのように考えたらよいのか、お教えいただけませんか。

青山 道元様は「同事というはなり、自にも不違なり、他にも不違なり」とおっしゃっていますが、例えば、観音三十三身さんじゅうさんじんというのはそれですね。子供の前には子供の姿、病人の前には病人の姿となって現れ、その人を救われる。上からの目線ではなく、同じ姿勢で自分の姿は消えて相手と一つになっていく。これがまさに「同事」なのだと思います。

横田 この頃、「寄り添う」というような言葉をよく耳にしますけれども、あれもなかなか難しいですね。寄り添う心が重荷になる場合もありますし、あまり元気な者が寄り添うとうらみ心を起こさせてしまう場合もあります。

青山 確かに難しいですね。私が忘れられない言葉にインドの詩人・タゴールの「あなたを愛させていただくことが、あなたのお荷物になることを恐れる」とありますが、実に本質を突いた言葉だと思います。
私は「よいことをさせていただく」という言葉はあまり好みません。どうしても「何かのために」という認識が生まれてまいりますからね。むしろ天地いっぱいに生かされているご恩返しとして、できるだけのことをさせていただきましょう、という姿勢でありたいと思っているんです。
利他行というと、割に上からの押しつけになったり、やり方によっては自己満足になりがちです。相手のお荷物になるようではいけません。だからこそ「同事」という教えの素晴らしさがあるのだと思います。

横田 なるほど。

青山 お釈迦様のお弟子だったコーサラ国の波斯はしのくおうきさきのマッリカーの話がございますでしょう? 波斯匿王は熱心な仏教徒でしたが、改めて自分を振り返って誰よりも自分が可愛いというところに行き着く。マッリカーに「おまえはどうじゃ」と聞くと、彼女も「自分が一番可愛い」と言う。
二人は、この考えがお釈迦様の教えにもとる気がしてお釈迦様のもとを訪ねる。その時、お釈迦様がおっしゃったのが「人のおもいはいずこへもゆくことができる。されど、いずこへおもむこうとも、人はおのれよりいとしいものを見いだすことはできぬ。それと同じく他の人々も自己はこの上もなく愛しい。さればおのれの愛しいことを知るものは、他のものを害してはならぬ」(『相応部そうおうぶ経典』)というお言葉でした。
お釈迦様は、まず本能ともいうべき我愛があいを認めた上で、その底で180度転じて他の人に向けるよう教えられるんです。自分が愛しいと思う者は他を害してはならぬと。仏教の歴史は2500年間、この不害の歴史、一歩進んで慈悲の歴史なんです。同事、同悲を根本としながら、本能とも言うべき我愛が180度転換して慈悲になった時、そこに揺るぎのない世界が生まれる。それが他の宗教にない仏教の素晴らしさだと思います。

臨済宗円覚寺派管長

横田南嶺

よこた・なんれい

昭和39年和歌山県新宮市生まれ。62年筑波大学卒業。在学中に出家得度し、卒業と同時に京都建仁寺僧堂で修行。平成3年円覚寺僧堂で修行。11年円覚寺僧堂師家。22年臨済宗円覚寺派管長に就任。29年12月花園大学総長に就任。著書に『人生を照らす禅の言葉』『禅が教える人生の大道』『命ある限り歩き続ける』(五木寛之氏との共著)『十牛図に学ぶ』(いずれも致知出版社)など多数。