2024年7月号
特集
師資相承
対談
  • 日本BE研究所所長行徳哲男
  • スポーツキャスター松岡修造

紛れもない私を
生き切れ

師と弟子が本気で語り合う
「日本人にいま伝えたい魂のメッセージ」

感性の哲人・行徳哲男氏、92歳。米国の行動科学と感受性訓練を東洋の禅と融合し、「感性=紛れもない私」を取り戻す研修を創始した人物である。
50年以上にわたって哲学実践の一道を歩み続け、政財界やスポーツ界など受講者数は3万人以上に及ぶ。スポーツキャスターの松岡修造氏もその一人だ。
衝撃的な出逢いから約30年の時を経て、師と弟子が今回初めて本気で語り合う「日本人にいま伝えたい魂のメッセージ」。

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行徳先生の心の声を聴いていきたい

松岡 行徳先生、きょうはよろしくお願いします。

行徳 やぁ修造君、元気そうで。

松岡 先生は僕のこの声の大きさで聞こえますか?

行徳 ああ、聞こえる。耳はちょっと難聴かも分からんけど、一番問題は目。おうはん変性症でいま視力は0.05に下がってしまった。ただね、目が見えなくなってから見えてくるものがいっぱいある。最初はなんで俺はこんな病気にかかるんだろうと思いわずらってたけど、いまは目が不自由になったおかげで、かえっていろんなものが見えてきた。特に感覚的な鋭さがね。

松岡 しんがんが研ぎ澄まされている。

行徳 とにかく現代は虚構、見せかけが多すぎる。お世辞とかおべっかとかれいが並びすぎる。もう見事に飾り立てとるよ。やっぱりこれからは感性、実感の時代。だから、本気とか本音というものに対してきょうしないほうがいい。

松岡 先生にまずお伝えしなきゃいけないのは、きょうは対談じゃないととらえています。僕はラッキーなことにこれまで20数年間、日本や世界のトップアスリートを多くインタビューしてきました。そして、90歳を超えられた先生をいまこそ『致知』でインタビューしたいと思ったんです。
いつもは先生から師事を仰ぐというか教えを受ける立場ですけど、きょうはまったく逆の形で勝負したい。ですから、ずっとジタバタしていました(笑)。なぜこれをしたかったかというと、相当失礼なことを言いますよ。僕はこれが先生との最初で最後の本気のインタビューだと思っているからです。もちろん今後もお会いします。でもそれはインタビューじゃない。
僕は先生の心を知りたいんです。今回、先生の本や『致知』のバックナンバー記事をいろいろ読み返しました。先生がたとえ話で取り上げられる歴史的人物の言葉や逸話にはすごく感極まるんですけど、きょうはそこがメインじゃなくて、いまの日本人に何を一番伝えたいか、どう感じているか、先生の心の声を聴いていきたいです。

行徳 ああ、いいね。それはぜひやってもらいたいテーマだ。
ただ、ちょっと1つだけ。学習には予習と復習がある。我われは予習をすると教室の中で知ったかぶりができとったわけだ。しかしある時、先生から「大事なのは予習じゃない。復習だぞ」と。それこそ修造君とは30年くらいの付き合いだけど、きょうはおさらいを交えて語り合いたい。

松岡 もちろんです。

日本BE研究所所長

行徳哲男

ぎょうとく・てつお

昭和8年福岡県生まれ。35年成蹊大学卒業後、大手財閥系企業に入社。労働運動の激しき時代に衝撃的な労使紛争を体験し、「人間とは何か」の求道に開眼。44年渡米、米国流の行動科学・感受性訓練と日本の禅や哲学を融合させ、「BE研修(Basic Encounter Training)」を開発。46年日本BE研究所を設立し、人間開発・感性のダイナミズムを取り戻す4泊5日の山中研修を完成。平成11年12月に終了するまで550回、政財界・スポーツ界・芸能界など各界のリーダー及びその子弟ら約3万名が参加。現在はそのエッセンスを凝縮した研修を続けている。著書に『感奮語録』(致知出版社)など。

最大の危機はアイデンティティクライシス

行徳 ではちょっとおさらいから入ろうか。1855年11月11日、デンマークの首都コペンハーゲンという町にはたいそうな雪が降った。町の人たちはシャベルを持ち出して雪きをしておった。ところが、そのシャベルに人が引っかかった。皆で掘り起こして病院まで担ぎ込んだのはいいんだけど、誰もその後彼を世話しない。あんな野郎はぴらめんだと。
この人物は当時デンマーク一の嫌われ者でもあった。なぜかというと、彼は大変けいけんなクリスチャンで、日曜日になると教会の前で礼拝に来る人たちにチラシをばらく。おい、あんたたち、月曜日から土曜日までぼんやり生きてこなかったか。なんとなく生きてこなかったか。だらだら生きてこなかったか。それは犯罪ではないけど、明らかなる罪だぞと彼は言う。
たった一度しかないこの人生、月曜日から土曜日までぼんやり生きていながら、日曜日になったらノコノコと教会に来てアーメンを唱える、十字を切る、賛美歌を歌う。そして牧師の話を聞くことによって、あいまいや半端を生きたことの罪を許してもらえたと錯覚し、また月曜日から何となく生きる。
そんなことならば、教会の礼拝なんか止めてしまいなさいと彼は国教を攻撃した。だから彼が道を歩いておったらいきなり石を投げつけられたこともあった。しかしそのような攻撃を受ければ受けるほど、俺は間違いなく生きてるんだという生のあかしだけは鮮烈に残して、43歳で野垂れ死にをした。この人物は修造君も知ってる通り、セーレン・キェルケゴール。

松岡 すさまじい生きざまと死にざまです。

行徳 どうも私のバックボーンをつくった人物の1人はこの哲学者だ。で、彼には野生のかもという哲学もある。これをやると長くなるからきょうは言わないけど(笑)。
しかしやっぱり決定的に大事なのは存在だよ。いまは存在が不鮮明だ。一人ひとりが曖昧で半端だもの。我われ現代人は自分を生きとらんよ。もう自分が不確かだ。まぎれもない私を生きてるっていう証がない。やっぱり独立した自分を生き切らなきゃ。
だから、修造君も実感すると思うけど、現代の人間に襲いかかっている危機は資源の枯渇ではない。あるいは人種問題でもない。一人ひとりの人間が自分を生き切ってないというアイデンティティクライシス以上の危機はないと思う。

スポーツキャスター

松岡修造

まつおか・しゅうぞう

昭和42年東京都生まれ。10歳から本格的にテニスを始め、慶應義塾高等学校2年生の時にテニスの名門校である福岡県の柳川高等学校に編入。その後、単身アメリカへ渡り、61年プロに転向。怪我に苦しみながらも、平成4年6月にはシングルス世界ランキング46位(自己最高)に。7年にはウィンブルドンで日本人男子として62年ぶりとなるベスト8に進出。10年現役を卒業。現在はジュニアの育成とテニス界の発展のために力を尽くす一方、スポーツキャスターなど、メディアでも幅広く活躍している。著書に、修造日めくりカレンダー『まいにち、修造!』(PHP研究所)など多数。