連載 四書五経の名言に学ぶ
四書五経の名言に学ぶ
  • 東洋思想研究家田口佳史

天のまさ大任たいにん
の人に
くださんとするや

孟子もうし

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    試練は天の愛情そのものだ

    『孟子』の「告子こくし章句下」にある名言です。

    全文を挙げれば、次の章句となります。

    「天のまさ大任たいにんの人にくださんとするや、必ずしんを苦しめ、其の筋骨をろうせしめ、そのたいえしめ、其の身を空乏くうぼうにし、行うところ其のさんとする所にふつらんせしむ」

    天がこの人と見込んで、世の為人の為になる大仕事を任せようとする時には、必ず先ず行うことがあります。

    それは、こくな試練を与えることです。

    その人の心を苦しめたり、そのこころざしを挫折の方向に引っ張ったり、その筋骨が疲労の極致に至るほどの労働を与えたり、金や物がまったく足りないほどのきゅうぼうに追いやったり、何をやっても思い通りにいかないなどのひどい苦境に立たせたりするのです。

    何の為なのか。大任とは、言い換えれば、じんじょういちようの困難さではない悪戦苦闘の状況が待ち受けていることを承知の上で行うべきことなのです。

    したがって苦難に耐えるほどの不屈の精神を身に付ける必要があります。

    更にもし未熟な部分があれば、そこが致命傷になることも有り得るわけで、こうした欠点や弱点を解消しておくことも必要です。

    天はすべてを見通して、あらかじめ体験をさせておくのです。

    これがいま自分を襲っている苦労の正しい理解なのだといっているのです。

    さすがに天は、人間というものの本質をよく承知していると思わせる文章が続きます。

    「人は常にあやまることによって、初めてよく改めることが出来るものだ。心が困窮し、考えのあやまりに深く後悔して初めて発憤して事をなすのだ。

    心の困苦がたまって、それが顔色にあらわれ、声に出るようになって、そうなって初めてさとることが出来るものだ」

    偉人や聖人君子、名経営者や名選手等といわれる人は、一様にこうした体験を経て名人達人への道を与えられるのです。

    冒頭にそうした例が述べられています。

    しゅんは、田畑を耕やしている日々の中からぎょうに見出されて、やがて歴史的名君にまでなったのだし、傅説ふえつは、道路工事の現場で働いていたのをいんの高宗武丁ぶていに引っ張り上げられて名宰相になったのだし、膠鬲こうかくは、魚や塩の行商から周の文王に用いられるようになったのだし、かんは一介の士であったのを斉の桓公かんこうに見出され抜擢ばってきされて宰相になったのだし、孫叔敖そんしゅくごうは、海辺の隠棲いんせい生活から、百里奚ひゃくりけいは、市場で働いているところから引き上げられた」

    どれ程この言葉にはげまされたか

    江戸期は、身分制度が厳守されていましたから、明治維新のにない手になった下級武士は、志の高さと身分の格差に泣かされる日々を過ごしていました。この名言に救われて、志を捨てたり、自暴自棄になって身の破滅へ向かったりすることを、かろうじて食い止めたのです。

    そうしたことを思えば、わが国を救った名言といっても過言ではないのです。

    私がこれまで出会った創業経営者の中には〝この言葉に救われた〟〝この章句が今日の自分をつくってくれた〟といわれた名経営者が多いことからも、この名言が時代を越えて、どれだけの人生を支えたことかと思わざるを得ません。

    吉田松陰や佐久間象山は特にこの名言を大切にした偉人として有名です。

    松陰の『こうもうさっ』に次の様な言葉があります。

    「私が江戸の獄につながると、吾が師象山先生も壁一枚へだてて獄中にあった。先生は日夜『孟子』を誦読しょうどくされた。特にこの章を一日一回必ず毎日誦読された」

    きっと弟子の松陰を案じてのことでしょう。

    く申す私も、若年時に突然の事故で身体障害の身になり、苛酷な時期をこの名言で救われました。涙なくして読めない言葉であります。

    東洋思想研究家

    田口佳史

    たぐち・よしふみ

    昭和17年東京都生まれ。新進の記録映画監督としてバンコク市郊外で撮影中、水牛2頭に襲われ瀕死の重傷を負う。生死の狭間で『老子』と運命的に出会い、東洋思想研究に転身。「東洋思想」を基盤とする経営思想体系「タオ・マネジメント」を構築・実践し、1万人超の企業経営者や政治家らを育て上げてきた。配信中の「ニュースレター」は海外でも注目を集めている。主な著書(致知出版社刊)に『「大学」に学ぶ人間学』『「書経」講義録』他多数。最新刊に『「中庸」講義録』。