2022年9月号
特集
実行するは我にあり
インタビュー
  • 陶芸家井上萬二

陶芸の道、限りなし

93歳現役の人間国宝に聞く

93歳のいまなお現役を貫く有田焼の陶芸家・井上萬二氏。15歳で予科練に入隊し、終戦を迎えた後、17歳より陶芸の修業の道に入り、42歳で独立。66歳の時に人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定された。今日に至るまで、いかにして技と心を磨き高めてきたのか。その心懸けと実践の軌跡を辿ると共に、人生を変えた出逢い、運を掴むために大切なこと、よいアイデアを生み出す秘訣、伸びていく人と途中で止まってしまう人の差、健康長寿の要諦などに迫った。

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仕事とは死ぬまでが恋

——93歳いまなお現役を貫く人間国宝の陶芸家が有田町(佐賀県)におられると伺い、やってまいりました。

確かに満93歳ですが、私は「ようやく39歳になりました」と言っているんです(笑)。93歳といっても、ちゃんと朝8時から夕方5時まで、週6日間勤務して作陶に励んでおります。
家内は7年前に亡くなりましたけど、まだ元気だった頃、朝ご飯もそこそこに8時近くなるとサッと仕事に向かう私を見て、「そんなに急いで行かなくても、誰も文句を言いませんよ」といつも言っていました。確かに私が大将だから文句を言う人はいません。それでも例外をつくらず、ちゃんと時間通りに仕事場へ行くことが習慣になっています。
土曜と日曜は事務所のスタッフが休みですから、家の者が留守番なんです。私も日曜は来客の応対をしたり事務的なことをしたり、あるいは美術館へ展覧会を観に行って構想を練ったり。ですから、休みなく毎日働いていますよ。

——まさしく仕事と一体になっていらっしゃいますね。

そういう生活を続けられているのは、運よく親が健康に産んでくれたこと。また、その時その時に鍛錬と精進しょうじんを積み重ねてきたからです。特に、15歳前後の若い時期に海軍での過酷な訓練を通して、きょうじんな体力と精神力を叩き込まれた。もちろん戦争は絶対にあってはならないけれども、人間形成という点では本当にかけがえのない経験だったと思うんです。
戦後、陶芸の修業を始めてからは、「域に達する」というのは限りがないけど、何の道でも「切り」っていうのはある。一日でも早く一歩でも早く、そこに到達しようと思って、月月火水木金金で人並み以上に努力したんです。17歳でこの道に入って、気づけば今年(2022)で76年。そういう精神でひたすら仕事に打ち込んできました。それが身体に染みついて、いまだにずっと続いているわけです。
暴飲暴食しないように理性を持って節制しますし、酒も煙草たばこもやらない。若い時は自分の技を磨く努力だけでよかったですが、近年はそれに加えて自分の健康を保持するための努力、この二つの努力を実践しているんです。

——仕事に打ち込む、それ自体が健康のけつなのでしょうか?

やっぱり仕事をしている時が一番健康的ですよ。93歳になっても若い者に負けないくらい、まだボケもしないし、はつらつとしているし、発想も湧いてくる。展覧会場で「なんでそんなに元気なんですか。秘訣を教えてください」とよく聞かれるので、「恋してますから」って言うんです(笑)。冗談半分ですけど、仕事とは死ぬまでが恋なんですね。

陶芸家

井上萬二

いのうえ・まんじ

昭和4年佐賀県生まれ。15歳で海軍飛行予科練習生に入隊。復員後、17歳で柿右衛門窯に弟子入りし、初代奥川忠右衛門に師事。県立有田窯業試験場での勤務、米国ペンシルべニア州立大学の焼物の講師を経て、46年に独立し、現在の井上萬二窯を開く。平成7年重要無形文化財指定(人間国宝)に認定される。9年紫綬褒章受章、15年旭日中授章受章。活動は国内だけに留まらず、アメリカ、ドイツ、ハンガリー、モナコ、ポルトガル、ポーランドなど、世界各国で多数の個展を開いている。現在、日本工芸会参与、有田町名誉町民。