2022年6月号
特集
伝承する
対談
  • 多摩大学大学院名誉教授田坂塾塾長(左)田坂広志
  • 文学博士(右)鈴木秀子

未来の世代に伝えたいこと

カトリックのシスターとして永年、多くの人たちの悩みに寄り添い続けてきた鈴木秀子氏。田坂塾を主宰し、経営者のみならず幅広い人々に仕事や人生の意味を伝えている田坂広志氏。人間の心を探究してきたお二人が行き着いた人生観には、驚くほど共通点が多い。富士山を眺望できる田坂氏のご自宅で初めて対面したお二人が、次世代へのメッセージを込めて語り合う人間の生き方——。

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大いなるものに導かれて

鈴木 きょうは久しぶりに東京を離れて、美しい富士山が眺望ちょうぼうできる田坂先生のご自宅に伺うことができて、とても感激しています。周囲は大自然に囲まれていて、こういう清らかな場所で執筆をされていると、多くのインスピレーションを受けられるのではないでしょうか。まさに先生のために備えられた土地ですね。

田坂 この環境は天の配剤であり、導きだと感じています。実は、私はこのような土地を手に入れようとはまったく思っていなかったのですが、不思議な縁に導かれ、この土地が与えられたのですね。この自宅から素晴らしい富士が眺められることも、家を建てるときになって、初めて気づいたのです
天の配剤でこうした有り難い環境が与えられたということは、そこに私の使命があるからだと思っています。ただ快適な生活をするために与えられたのではない。そう思っていますので、毎朝、富士に向かって祈り、その使命に思いをせながら、日々、執筆に取り組んでいます。

鈴木 先生のその思いは私にはとてもよく分かります。富士山というこの清らかな土地からき出る力が先生を通してたくさんの人々に伝わっていく。それは本当に素晴らしいことですね。
田坂先生とは初めてお会いするわけですが、ある方が、私と同じようなことをおっしゃっている偉い先生がいる、と教えてくれたんです。そこで先生のご著書を何冊かお読みしたところ、考え方や発せられているメッセージが大変似ていることにとても驚きました。私が大切に思っているのと同じことを、こんなにも的確に表現してくださる方がいるんだと思って感動し、それ以来ずっとお会いしたいと思ってきましたので、きょうはとても嬉しいです。

田坂 そう言って頂けること、本当に光栄です。私も鈴木先生が1993年に出された『死にゆく者からの言葉』を拝読して感銘を受け、以来、いつかお会いしたいと思っていました。
先生と私の考えで共通することの一つが、「我々の営みは、大いなるものに導かれている」という感覚と思います。例えば、私にとって、何かを執筆する営みは、自分が執筆するというよりも、「大いなる何か」に導かれ、書かされているという感覚なのですね。富士に向かって祈り、大いなる何かにつながり、そこから降りてくるものを言葉にしているのです。その「降りてくる」という感覚、天啓てんけいのような直観を大切にして、執筆をしています。人智で考え出した文章は、読者の心に伝わらないと思っているからです。
それゆえ、執筆のときは、必ず、富士に向かって「導きたまえ」と祈ります。それは、わずか400字の文章でも、200頁の本でも、全く同じです。何かの用で執筆を中断しても、机に戻って再び「導き給え」と祈り、書き始める。従って、一日に何十回も祈ることが、自然に私の習慣になっています。

鈴木 まるで瞑想めいそうじゃありません? 大いなる世界と繋がっていかれて……。

田坂 そうですね。私にとって、祈りとは、瞑想でもあるので、その通りかと思います。

鈴木 科学やビジネスの世界に身を置いてこられた田坂先生が、心の世界に目を向けられていることはとても尊いことですね。

文学博士

鈴木秀子

すずき・ひでこ

東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。聖心女子大学教授を経て、現在国際文学療法学会会長、聖心会会員。日本にエニアグラムを紹介。著書に『自分の花を精いっぱい咲かせる生き方』『幸せになるキーワード』(共に致知出版社)『死にゆく人にあなたができること』(あさ出版)『機嫌よくいれば、だいたいのことはうまくいく。』(かんき出版)など多数。

人生で与えられる出来事はすべて深い意味がある

田坂 鈴木先生はシスターとして、人々の幸せのために祈りを続けられていますが、私は、田坂塾の塾生の皆さんにも、祈りの大切さをお伝えしています。
ただ、祈りというと、多くの人は「神様、この願いをかなえてください」という「願望の祈り」をイメージしますが、田坂塾では、そうした祈りではなく、ただ無条件に「導き給え」と祈る「全託ぜんたくの祈り」を勧めています。「願望の祈り」を決して否定するわけではないのですが、願望が強すぎると、どうしても、小さなエゴが心を支配してしまうからです。

鈴木 その「導き給え」というお祈りは、大いなる存在に対して全面的な信頼と委託がないとできないことですね。

田坂 そうですね。それゆえ、田坂塾では、この祈りを「全託の祈り」と呼んでいます。「願望の祈り」は、しばしば「あれほど祈ったのに、願いが聞き入れられなかった」という否定的な想念が生まれてきますが、「全託の祈り」では、「導き給え」と祈った結果、与えられたものは、すべて天の導きと絶対肯定の想念で受け止めるため、否定的な想念は生まれません。
例えば、入学試験において、「導き給え」と祈り、全力を尽くす。その結果、試験に落ちたとしても、それは導きだと受け止める。すなわち、人生で起こる出来事はすべて天の導きであり、すべてに深い意味がある。無意味なことは何一つとしてない、というのが田坂塾の思想なのですね。

鈴木 私もそのように思っています。すべてを必然だと肯定していくことで、人生に迷いがなくなり揺るぎない中心軸が自分の中に育まれるんですね。それで思い出したのですが、私が若い頃、アメリカに行ったときに病院の入り口に「ある無名兵士の詩」が掛けられていました。田坂先生はご存じかと思いますが、大好きな詩ですので少し読み上げてみます。
大きなことを成し遂げるために、強さを与えてほしいと神に求めたのに、謙遜けんそんを学ぶように、弱さを授かった

偉大なことができるようにと、健康を求めたのに、よりよきことをするようにと、病気をたまわった

幸せになろうとして、富を求めたのに、賢明であるようにと、貧困を授かった

世の人々の称賛を得ようとして、力と成功を求めたのに、得意にならないようにと、失敗を授かった

人生を楽しむために、あらゆるものを求めたのに、あらゆるものをいつくしむために、人生を授かった

求めたものは、一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。私はもっとも豊かに祝福されたのだ
すべての出来事は、自分が人間として成長するための神様の祝福だったという詩です。私はこの詩に出合って「本当の祝福とはそういうことなのだ。喜ばしい出来事だけが祝福なのではない」とものすごく感動したことを、いまでも鮮明に覚えています。

多摩大学大学院名誉教授田坂塾塾長

田坂広志

たさか・ひろし

昭和26年生まれ。56年東京大学大学院修了。工学博士。民間企業、米国シンクタンクを経て、平成2年日本総合研究所設立に参画。12年多摩大学大学院教授に就任。23年内閣官房参与に就任。25年全国から7,000名の経営者が集う田坂塾を開塾。著書は90冊余、近著に『すべては導かれている』(PHP文庫)『運気を磨く』『運気を引き寄せるリーダー 七つの心得』『人間を磨く』(いずれも光文社新書)など。