2018年1月号
特集
仕事と人生
インタビュー②
  • はとバス観光バス事業本部企画旅行部長江澤伸一
仕掛け人が語る

「はとバス」ヒットツアー
の秘密

工場の夜景見学、オープンバスによる桜見物など「はとバス」の斬新なツアーがロングヒットを続けている。ヒットの仕掛け人が、同社の旅行プランナー・江澤伸一氏だ。誰も考えつかなかったユニークなアイデアはどこから生まれ、なぜ人の心を掴むのか。ご自身の仕事観を交えながらお話しいただいた。

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誰も考えつかなかった「はとバス」の人気ツアー

——江澤さんは「はとバス」社員として数多くのヒット作を生み出してこられましたね。川崎の京浜工業地帯を回る「工場夜景ツアー」や、心霊スポットを巡る「講談師付き納涼怪談クルーズツアー」など、これまでにない斬新ざんしんな企画はメディアでも広く紹介されました。
僕の現在の仕事は栃木、群馬など関東甲信越エリアを中心としたツアーのマネジャーですので、実際に自分で企画を考えることはなくなりましたが、2016年10月までは都内の定期観光の部門にいて、いろいろなツアーの企画に携わってきました。

お話しいただいた工場夜景などは思い入れの強い商品で、いまも根強い人気を誇るツアーの一つなんですね。当社では泊まりと日帰りを合わせてワンシーズン200以上のツアーが動いています。その中には、もともとあった企画を加工、洗練してご提供するものも多いのですが、中には一から手掛けたりフルモデルチェンジするものもあります。僕が自分で企画し立ち上げたツアーは確か100くらいになるでしょうか。

——お客さまの期待が大きいだけに、企画を生み出すご苦労も絶えることがなかったでしょうね。

おっしゃるとおりです。メディアなどに取り上げられるほど、「はとバス」に乗ればどんな面白いことが起こるのだろう、というお客さまの期待感は高くなりますし、それを裏切ることは絶対にNGです。ただ幸いに、いまは東京スカイツリーの開業や北陸新幹線の開通を背景に、お客さまの数も業績も堅調に推移しているんです。

——東京の象徴でもある「はとバス」も、かつては経営危機に陥っていたと伺っています。

ええ。1998年ですから僕が30歳になった頃のことですね。90年代初頭にバブルが崩壊すると、日本は平成大不況に突入しました。阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件がそれに追い打ちをかけて、東京観光を敬遠するムードが拡大していったんです。
そういうあおりを受けて当社も経営危機に直面することになりました。銀行からの借入金はグループ全体で累積70億円に達し、いつ倒産しても不思議ではない状態でした。
その後、様々な経営改革で危機を乗り越えていきましたが、僕としてもヒット商品の開発などをとおして、いささかでも業績回復に貢献できたことを嬉しく思っているんです。

はとバス観光バス事業本部企画旅行部長

江澤伸一

えざわ・しんいち

昭和43年東京都生まれ。平成4年はとバス入社。関連会社で国内旅行全般の商品開発部門を担当後、出版広告部門で12年間、旅行パンフレットの制作や広告営業に携わる。21年に本社定期観光部に配属され数々のヒットツアーを生み出す。28年から観光バス事業本部企画旅行部長。著書に『「はとバス」ヒットの法則23』(潮出版社)。