2020年8月号
特集
鈴木大拙に学ぶ人間学
対談
  • (左)臨済宗円覚寺派伝宗庵徒弟蓮沼直應
  • (右)立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科准教授大熊 玄

鈴木大拙が残した言葉

日本の禅文化の伝承者として世界に名高い鈴木大拙。その著作に綴られた言葉はいまも輝きを失うことなく、私たちに生きる知恵を授けてくれる。著書を通じて大拙の言葉を易しく繙いてきた大熊 玄氏と、20代の頃より大拙の思想研究に打ち込んできた蓮沼直應氏に、大拙の魅力と、残された言葉から学んだことを語り合っていただいた。

この記事は約26分でお読みいただけます

大拙を通じて自分のあり方を問い直す

大熊 蓮沼さんがお書きになった『鈴木大拙だいせつ その思想構造』を拝読しましたけど、大変な労作ですね。おかげさまで大拙のことが頭の中でかなり整理されました。

蓮沼 ありがとうございます。2020年の4月に発刊したばかりですが、もとは6年前に大学院にいる時に書いた博士論文なんです。大学院を出て鎌倉にある円覚寺えんがくじの修行道場に入ったので、しばらく鈴木大拙から離れていたのですが、2019年修行道場から帰ってきたので出版することにしました。
実は、私が大拙の研究を始めた時、一番分かりやすい入り口になると紹介されたのが大熊さんの本でした。

大熊 あぁ、そうでしたか。それは嬉しいですね。

蓮沼 私自身も拝読して本当にその通りだと思いました。あそこまで分かりやすく書くのはさぞかし大変だろうと思います。難しいことを難しく書くほうが簡単です。

大熊 15年前には、中学生向けに大拙のテキストを書いたこともあります。30代の中頃に、金沢市内の中学2、3年生に配布したいと執筆を頼まれましてね。それに加筆して出版したのが『鈴木大拙の言葉』でした。その後も大拙に馴染なじみのない人向けに『はじめての大拙』という本も書きました。
そういうわけで、私は長らく西田幾多郎きたろう記念哲学館の学芸員を務めていたのに、最近まで大拙の本しか書いていなかったんです(笑)。実は、西田哲学というのは大拙の思想との親和性が高くて、学芸員時代は「西田幾多郎を理解するには大拙から入りましょう」と、西田哲学への橋渡しのような形で大拙のことをしばしば紹介させていただいていました。

蓮沼 大熊さんは、大拙とは何か特別な出会いでもあったのですか。

大熊 最初の出会いは大したものではありませんでした。高校か大学の時に『禅とは何か』『禅』『禅と日本文化』を読んだのですが、内容はほとんど記憶に残っていませんでしたから(笑)。
大学は、漢文の大家である白川しずか先生にあこがれて立命館大学に入り、そこで東洋史の勉強をするうちにだんだん仏教の原典を読みたくなり、パーリ語やサンスクリット語を教えてくれる金沢大学の大学院に進みました。そうしたら、金沢は西田幾多郎の出身地であり、同郷の大拙が親友だったということを知って、ずっと記憶の底に埋もれていた大拙のことが私の中でよみがえってきたんです。
蓮沼さんが大拙の研究に取り組もうと思われたのはなぜですか。

蓮沼 私は臨済宗の寺に生まれて、本来なら寺の子供は修行道場に入るんですけど、跡を継ぐ兄がいるものですから、自分はちょっと寄り道をしようと思って大学院へ進みました。大学でははじめ西洋哲学を勉強しようと思っていましたが、日本思想の伊藤すすむ先生が『歎異抄たんにしょう』をずっと講読されていたので、実家も臨済宗のお寺だし、これを機に仏教の勉強をしてみようと思い、卒論は仏教思想で書きました。
子供の頃はお寺のことにさほど深い関心を持っていなかったのですが、勉強するうちに、あぁこういうのがお寺の元になっている思想なんだとだんだん面白くなってきて、大学院へ進学して引き続き勉強を続けることにしました。臨済宗を通じて禅とか浄土といった宗教哲学の勉強ができたらいいなと思って、だったら鈴木大拙だと。
もちろん中世や近世の禅僧も研究し甲斐がいはありますが、自分のルーツと関わってくるところで、なおかつ自分のあり方を直接問い直す機会を与えてくれる研究対象ということで、鈴木大拙を選んだのです。

立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科准教授

大熊 玄

おおくま・げん

昭和47年千葉県生まれ。立命館大学史学科卒業。金沢大学大学院文学研究科修士課程修了。同大学院社会環境科学研究科(博士後期)満期退学。インド・プネー大学留学を経て、石川県西田幾多郎記念哲学館専門員、副館長を歴任。平成27年より立教大学文学部大学院21世紀社会デザイン研究科准教授。著書に『鈴木大拙の言葉』(朝文社)『はじめての大拙』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)『善とは何か:西田幾多郎「善の研究」講義』(新泉社)など。

思想家ではなく執筆家として

大熊 私の場合は、大拙も西田もあまり研究対象としては見ていないんです。私が長く住んでいた石川県は2人の故郷ですし、ご遺族にもいろいろお話を伺っているうちに、近所のおじさんみたいな親しみを感じるようになったものですから(笑)。

蓮沼 大熊さんは大拙のどんなところに魅力を感じられていますか。

大熊 うーん……あまりにも大き過ぎてとてもひと言では言えませんけれども、例えば文筆家としての魅力というのは非常にありますね。
2018年まで、大拙が戦時下の国家の統制がある中でどういう文章を書いていたのかを調べてみたんですが、ここを超えたら出版できないというラインを踏まえながら、自分の書きたいことをギリギリのところまで書いている。晩年に聖路加せいるか病院へ入院した時のカルテには、自分の肩書を「思想家」ではなく「執筆家」としていますけど、とにかく人に読ませる力には見事なものがあります。
その執筆力は、海外で日本の禅文化、仏教文化をくことで養われた面が大きいでしょうね。いまの私たちは、日本人といってもかなりアメリカナイズされていますから、そういう大拙の言葉がとてもに落ちるんです。

蓮沼 私は、大拙のダイナミックな文章にとてもかれますね。原典に忠実でなくてはならない研究者と違って、大拙の文章はまず自分の体験が最初にあって、それを説明するために原典を引用したりするんですけど、時にはその引用元を読み替えることも辞さない。専門家から批判が出ることもありますが、それをはじき返すくらいの魅力がありますね。
その点、大拙の論文を書くことには随分葛藤かっとうがありました。せっかくダイナミックな大拙の文章を研究の過程で切り刻んで組み立て直してしまうと、大拙の生きた文章が死んでしまうんじゃないかと。
そこに思い切って踏み込めたのは、つくば(茨城県)というしがらみのない新しい街で研究を始めたことが大きかったと思います。

大熊 研究は筑波大学でなさったのですね。

蓮沼 はい。在学中は、月に一度、仏教の講座を拝聴するために鎌倉に通っていました。そこには大拙の後継者である古田紹欽しょうきん先生をしたゆかりの先生方もたくさんいらっしゃって、大変よい刺激をいただくことができました。
けれども普段はそういう場所から離れて、純粋に自分の興味に従って研究できたことはよかったとも思います。

臨済宗円覚寺派伝宗庵徒弟

蓮沼直應

はすぬま・ちょくよう

昭和60年東京都生まれ。平成7年向嶽寺派管長宮本大峰老師に就き得度、南禅寺派興慶寺徒弟となる。20年筑波大学第一学群人文学類卒業。26年筑波大学大学院一貫制博士課程哲学・思想専攻修了。円覚寺派専門道場に掛搭。横田南嶺老師の下で修行。現在、伝宗庵徒弟。博士(文学)。著書に『鈴木大拙 その思想構造』(春秋社)。