2019年3月号
特集
志ある者、事竟ことついに成る
インタビュー②
  • 浪曲三味線曲師沢村豊子

浪曲三味線の道
一筋に生きる

12歳で浪曲三味線の世界に飛び込み、この道一筋に歩むこと70年。磨き続けた技で、いまなお当代随一の曲師として舞台にたつ沢村豊子さん。踊りの師匠になるつもりが三味線弾きになり、斯界に名を馳せるまでに至った道のりをお話しいただいた。

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いまも月に15日以上舞台へ

――¬最近は月にどのくらい舞台に出ておられますか。

毎月15日以上は出ています。お正月も2日と3日に浅草の木馬亭もくばていで弾きました。

――浪曲三味線というのは相手の呼吸にピタッと合わせないといけないそうですが、いまはそれができる人が少ないらしいですね。

いまやれるのは私と伊丹いたみ秀敏さんくらいです。加藤歌恵さんという方がいらしたんですけど亡くなられましたので。「困ったね」って言ってるんですけどね。

――¬若い方はいないのですか。

20年ほど前に弟子に取った沢村さくらが大阪で頑張っています。それからもう一人、2年くらい前に「どうしても」と言われて弟子にした子がいます。最初に来たのは大学卒業前くらいだったかな。三味線を持ったこともないというので、これは無理だろうと思って、ひとまず「私について回って楽屋で芸人の生活がどんなものなのか見て、嫌だったらやめなさい」と言ったんです。もう弟子を取るつもりはなかったので「やめてくれたらいいのに」って思っていたんですが、そのまま弟子になっちゃった。

ただ、やらせてみたら音感がよくて、音を取るのが上手い。耳がいいから普通の子より上達するのが早いんです。三味線を持たせても形になっているし、ばちの動かし方も上手よね。短い間で驚くほど上達しました。沢村美舟みふねっていう子ですけどね。私の舞台をずっと見ていたから、私が曲師きょくしを務めている玉川奈々福ななふくの節ともピタッと合う。奈々福も最初は「まだ美舟はダメ。お師匠さんでないと」と言ってましたけど、やらせてみたら「この子でやるね」って。私も「美舟ちゃんが弾くとお客さんもいっぱい入るからいいじゃない。どんどん若い子を育てなさいよ」と言っているんです。

浪曲三味線曲師

沢村豊子

さわむら・とよこ

昭和12年福岡県生まれ。浪曲師・佃雪舟の弟子となり、佃美舟の名で浪曲三味線の修業を積む。独立後、国友忠専属の相三味線を長く務める。ラジオの浪曲ドラマの曲師を担当した他、テレビや舞台などで広沢虎造、三波春夫、村田英雄、二葉百合子などの三味線を弾く。平成22年、『浪曲三味線 沢村豊子の世界』を浅草の木馬亭で披露。