2020年3月号
特集
意志あるところ道はひらく
インタビュー②
  • シャンソン歌手出口美保

人と人とのはざまに生きて

シャンソンと共に歩んできた私の54余年

物語性の強い歌詞で聴く者の心を捉えるシャンソン。日本を代表する歌い手として、情感豊かな歌唱で人々を魅了し、また多くの後進を育ててきたのが出口美保さんである。シャンソンと共に歩み、シャンソンを通じて道をひらいてきた歌姫に、熱唱に込めてきた思いを伺った(写真:ジルベール・ベコーの写真の前で)。

この記事は約11分でお読みいただけます

歌い続けて50余年歌は私の人生そのもの

——出口さんは82歳のいまも、シャンソン歌手として大変精力的に活動をなさっていますね。

おかげさまで、一昨年にはデビュー50周年の節目を迎えることができました。本当にたくさんの皆様に支えていただいてここまで来ることができました。
記念公演を開催した地元大阪のフェスティバルホールは、これまでに20回以上リサイタルを開催してきた思い入れの深いホールで、ありがたいことに昨年12月にも、また多くのお客様の前で舞台に立たせていただいたんですよ。

——その一方で、後進の指導にも尽力されていると伺っています。

カルチャーセンターで教室を持っています。最初にご依頼をいただいたのはNHK文化センターでした。その後、あちこちでお声を掛けていただいて、いまも毎日どこかでレッスンをさせていただいています。

——本当に多くの方にシャンソンの魅力を伝えてこられたのですね。

レッスンでは生徒さんに何かをつかんでほしいから、一人ひとり存分に詩について考えてもらうんです。
シャンソンはフランス生まれの歌で、人々の生活やその心がフランス語の詩で書かれています。歌は詩、メロディ、リズム、テンポでできていますけど、シャンソンは詩が優先されると私は思っています。ですから、どの訳詞を選ぶかということも、日本語でシャンソンを歌う上では大切なんです。
私が子供の頃は戦時中で、空襲の度に防空頭巾ずさんかぶって逃げ回りました。大阪大空襲で家を焼かれ、生まれ育った大阪の都心を離れて各地を転々としましたけど、その体験の一つひとつが、詩の解釈や情景の想像など、私の歌にすごく役立っています。
教室でも、生徒さんそれぞれの経験と個性で味が出てくるものなので、一人ひとりが好奇心旺盛に、発想豊かに各々の経験を活かして楽しんでほしいと思っています。

——各々の持ち味をしっかり引き出すことを目指されて。

ですから、シャンソンはカラオケではダメだと私は思っています。決められた旋律せんりつの中に収めてしまうのではなく、枠からはみ出すところがシャンソンの面白いところですからね。だからなま伴奏で歌ってほしくて、教室にもピアニストに来てもらっています。
そうやってレッスンを続けていると、生徒さん一人ひとりの長所が見えてくるんですけど、こちらからはあえて言わないんです。とにかく自分で考えてもらうこと。例えば、ある歌を好きになったということは、そこに何か自分の琴線きんせんに触れるものがあるはずです。それを突き詰めていけば、自分の中に隠れていた素晴らしいものが発見できるんです。
だからレッスンでは、一緒に歌詞を読みながら、この部分ではどんなことを感じるかって語り合うんですけど、面白いですよ。こちらが月謝を払わなければいけないくらい勉強になるんです(笑)。

——例えば、どんなふうに語り合われるのですか。

『マイ・ウェイ』って曲に「君に告げよう、迷わずに行くことを」という一節があります。この「君」って誰かを皆で考えるんです。会社で重役を務めていらっしゃる方は「部下です」とお答えになりました。「自分のやり方を貫け」というメッセージを、歌を通して伝えたいんだと。年配の方は「孫です」と。それから「亡くした母です」という方もいらっしゃいました。
それを踏まえて歌うと自ずと声に色がついてくる。ただ普通に歌うのと、いとしい孫に「頑張ってね」という想いを込めて歌うのとでは、全然声が違うでしょう。胸がいっぱいになり、涙声になって、見事な熱唱になるんですよ。
『マイ・ウェイ』のサビの歌詞は、「私には愛する歌があるから、信じたこの道を私は行くだけ」です。この詩にある「歌」は、私にとっては人生そのもの。そんな思いで、私はきょうまで歌い続けてきたんです。

シャンソン歌手

出口美保

でぐち・みほ

昭和12年大阪府生まれ。日本シャンソン界のパイオニア・菅美沙緒に師事。43年『ザ・ラストワルツ』でデビュー。54年ライブハウス「シャンソニエ ジルベール・ベコー」開店。自身の音楽活動と後進の指導を精力的に展開。平成27年には比叡山延暦寺根本中堂にて奉納コンサートを開催。