2020年7月号
特集
百折不撓
対談
  • (左)ドリームジャパン社長長原和宣
  • (右)北洋建設社長小澤輝真

人生の試練が
教えてくれたもの

覚醒剤中毒から立ち直った体験を基に、元受刑者の雇用や刑務所での講演活動に力を尽くすドリームジャパン社長の長原和宣氏。創業以来、500人以上の元受刑者を雇用し、その多くを更生に導いてきた北洋建設社長の小澤輝真氏。元受刑者が出所後も当たり前に働き、自立できる社会を実現するという共通の志に燃えるお二人が語り合う、百折不撓の歩み、人生の試練を乗り越える中で見えたもの——。

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元受刑者の就労支援共通の志に向かって

長原 きょうは尊敬する小澤さんと対談ができるということで、本当に光栄です。この日を心待ちにしておりました。
私が元受刑者の就労支援に熱心に取り組んでいる北洋建設(北海道札幌市)という会社があることを知ったのは、いまから5年ほど前のことでした。新聞などのメディアに取り上げられていたのをどこかで見たんです。それから北洋建設、小澤さんの取り組みを頻繁ひんぱんに目にするようになりました。
それで、私もちょうど経営する運送会社(ドリームジャパン/北海道帯広市)で元受刑者の就労支援に本格的に取り組み始めた頃でしたから、「ああ、すごい会社、立派な社長さんがいるんだな。一度お会いしてみたい」という気持ちがどんどん強くなったんです。

小澤 それは嬉しいですね。

長原 念願がかなったのが2019年7月でした。札幌で開催された日本財団による元受刑者の自立更生支援活動「職親しょくおやプロジェクト」の企業向け説明会に、小澤さんもご参加くださり、対面を果たすことができたんです。もう感激で、嬉しくてたまりませんでした(笑)。

「職親プロジェクト」北海道シンポジウムで思いを訴え長原氏(中央)と小澤氏(左)、千房の中井政嗣氏

小澤 あの時は会場にたくさん人がいましたが、長原さんは存在感があるというか、すごく目立っていて私から声を掛けました(笑)。

長原 これまで500人以上の元受刑者を雇用してきたご経験も、もちろん学びにさせていただいていますが、何よりの学びは小澤さんの本気度なんです。就労支援に懸ける小澤さんの本気度に刺激を受けて、もっともっと自分も頑張らなくてはと励まされています。

小澤 日本では、元受刑者が心を入れ替えて前向きに生きていきたいと思っても、前科があるというだけでなかなか世の中に受け入れてもらえない、働くことができない、そのために再犯してしまうという現実があります。ですから、長原さんのように元受刑者の就労支援に協力してくださる経営者の方が増えていくことは、本当にありがたいことですし、これから一緒に頑張っていきたいですね。

長原 多くの方のご尽力で、2020年2月に「職親プロジェクト北海道」が立ち上がりました。参加する企業同士が協力し、元受刑者を雇用して再犯防止に取り組んでいけば、世の中はもっとよくなるはずなんです。また、それによって刑務所に入っていた人が今後は納税者として社会に貢献していくわけです。小澤さんと共に、私もこの素晴らしいプロジェクトに全力で取り組んでいきたいと思っています。

ドリームジャパン社長

長原和宣

ながはら・かずのり

昭和43年北海道帯広生まれ。高校中退後、61年陸上自衛隊入隊(平成2年夜学にて高校卒業)。除隊後、運送業に従事。その頃、覚醒剤中毒に陥るも克服し、平成13年に長原配送(現・ドリームジャパン)を創業。現在、事業経営と共に、一般社団法人ナガハラジャパンドリームを設立し、前科者の更生活動を全国で推進。就労支援を行う日本財団「職親プロジェクト」にも力を入れている。

どんな社員も皆北洋建設の家族

長原 創業して以来、数多くの元受刑者の雇用や更生に取り組んでこられた北洋建設ですが、そもそものきっかけは何だったのですか。

小澤 北洋建設は私が生まれる1年前、1973年に父が立ち上げたんですね。当時は高度経済成長期で景気がよく、どの建設現場も人手不足。とにかく人を現場に出せればお金になる時代でした。
それで近所にあった札幌刑務所に目を付けた父は、出所してきた元受刑者に「おまえ、どこか行く当てはあるのか? ないならうちへ来い」と声を掛け、もう何十人と雇っていったんです。多い時には、100人の社員のうちの半数が元受刑者だったこともあります。
父と母の二人で六畳一間からの創業でしたが、人材の確保に困らなかった北洋建設は、少しずつ売り上げを伸ばしていき、やがて大手ゼネコンの下請けに入って、規模はさらに拡大していきました。
そうしたところから元受刑者の雇用がスタートしたんです。なぜ父が元受刑者ばかり雇っていったのか、聞いたことはないので分かりませんが、特別な理由、志があったわけではないと思います。

長原 ちなみに、創業者であるお父様はどのような方でしたか。

小澤 父は経営者としての嗅覚きゅうかくはもちろん、取引先の電話番号を百件そらで言えるほど営業力のある人で、社員にとっても面倒見のよいおやじという感じでした。一方で、私生活はめちゃくちゃ。商売が軌道に乗ると、家族はすごく大事にしてくれましたが、高級外車を買ったり、海外旅行に行ったり、お金を湯水のように使い、愛人を何十人とつくっていました(笑)。
逆に母はすごく勤勉な人で、そんな父を支えながら、創業期から毎朝4時に起きて何十人もの社員の朝食を用意し、お昼のお弁当まで持たせていました。だから母にはいまも頭が上がらない(笑)。
父は事業のために元受刑者を雇っていたのかもしれませんが、母は彼らを心から心配し、母親のように親身に接していましたね。

長原 立派なお母様です。

小澤 なので、私はその父と母の姿から、「どんな社員も皆家族なんだ」ということを学びましたし、私にとって元受刑者が周りにいることは幼い頃から当たり前のことだったんです。例えば、小学校の写生会で札幌の大通公園に行った時に、酒瓶を持った酔っ払いが大声を出していました。学校の先生は危ないから関わらないよう皆に注意していたのですが、その酔っ払いは私の顔を見るなり、「おお、輝真てるまさじゃないか。こんなところで何してるんだ?」と(笑)。酔っ払いはうちの社員だったんです。
当時は同じようなことが何度もありましたね。社員同士の喧嘩けんかも日常茶飯時です。でも、父と母が止めに入ると、皆言うことを聞いて喧嘩はピタリとむんですよ。

北洋建設社長

小澤輝真

おざわ・てるまさ

昭和49年北海道札幌生まれ。創業者である父の死に伴い、18歳で北洋建設に入社。平成24年父と同じ難病「脊髄小脳変性症」を発症。放送大学教養学部、日本大学経済学部卒、放送大学大学院修士課程修了(犯罪者雇用学専攻)。受刑者雇用の実績が高く評価され、「東久邇宮文化褒賞」「東久邇宮記念賞」、法務省より「法務大臣感謝状」、札幌市より「安全で安心なまちづくり表彰」など受賞・表彰多数。