2020年7月号
特集
百折不撓
  • 能楽師安田 登
不朽の古典

司馬遷『史記』に学ぶ
人間学

数千年の時を経たいまなお読み継がれる不朽の歴史書『史記』。その内容もさることながら、著者である司馬遷の「百折不撓」の生涯もまた、多くの人々に仕事や人生の指針を与えてきた。高校時代に出合って以来、『史記』を座右の書として味読してきたという能楽師の安田 登氏に、司馬遷の生き方や『史記』の魅力、いま私たちが学ぶべき教えを紐解いていただいた。

この記事は約16分でお読みいただけます

天道というものは本当にあるのだろうか

授業で学んだことをきっかけに、私が漢文に興味を持ったのは高校生の時でした。そこで、大漢和辞典の編集にもたずさわった経験のある先生に顧問をお願いし、友達三人と漢文研究会を設立。「せっかくだから、白文はくぶんで読もう」ということになり、教材として司馬遷しばせんが書き記した古代中国の歴史書である『史記しき』を読み始めたのです。

まずは『史記』の「列伝れつでん」の最初に置かれている「伯夷はくい列伝」を読んでいきました。「伯夷列伝」は伯夷と叔斉しゃくせいといういんの時代の兄弟の伝記ですが、彼らは孔子が聖人として認めたほど清廉せいれんな賢人たちです。しゅう武王ぶおうが殷をとうとした時、二人は「暴力に対して暴力で対抗する、それは間違いだ」と止めましたが、武王はそれでも殷を討って周王朝を建てました。

伯夷と叔斉は、そのような周王朝のあわ(穀物)を口にすることはできないと、ぜんまいだけを食べて最後は遂に餓死がししてしまうのです。

罪もない人を毎日殺すような大盗賊が勝手気ままに暮らし長寿をまっとうするかと思えば、伯夷と叔斉もそうですが、優秀だった孔子の弟子の顔淵がんえんが常に貧しく若くして死んでしまうこともある。司馬遷は次のように記します。

余甚よはなはだ惑う。あるいは所謂天道是いわゆるてんどうぜか」
(天道というものがあるといわれていたけれど本当にあるのだろうか)
 
司馬遷のこの問いに接した時、私は高校生ながら非常に心かれました。当時の私は、田舎に生まれた自分は塾に通うことさえできなかったのに、都会の子たちは早くから予備校に通って受験の準備をしていること、健康な人と障碍しょうがいのある人がいることなど、世の中の様々な矛盾に悩んでいました。

「よいことをすれば、よいことが起こる」などと建前ばかりを言う大人の言説に囲まれている中で、「天道是か非か」という司馬遷の問いは数千年の時空を超え私の胸に響いてきたのです。まるで司馬遷が私のすぐ近くにいるようにも感じました。そしてその問いこそ、『史記』全体を貫くテーマではないかと思いました。

その後、私は高校教師となりましたが、27歳の時に大きな転機が訪れました。友人に誘われて観に行った能舞台で、ワキ方の重鎮である故・鏑木かぶらき岑男みねお先生のうたいの素晴らしさに衝撃を受け、弟子入りして能の世界に入ったのです。

能楽師として活動していく中でも、司馬遷と『史記』に対する思いは変わらず、関連する書物を買い求めては、事あるごとにその教えを人生・仕事の指針としてきました。後に詳しく触れますが、能楽には『史記』の人物を題材にした作品もたくさんあります。

本欄では司馬遷の生き方を辿たどりながら、いまだからこそ多くの人に伝えたい『史記』の登場人物や物語を紹介したいと思います。

能楽師

安田 登

やすだ・のぼる

昭和31年千葉県生まれ。高校教師時代に能楽と出合う。ワキ方の重鎮・鏑木岑男師の謡に衝撃を受け27歳で入門。現在は、ワキ方の能楽師として国内外を問わず活躍し、能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演などを行う。『能 650年続いた仕掛けとは』(新潮新書)『身体感覚で「論語」を読みなおす』(新潮文庫)『日本人の身体』(ちくま新書)『NHK100分de名著 史記』(NHK出版)など著書多数。