2020年12月号
特集
苦難にまさる教師なし
インタビュー③
  • デンソーウェーブAUTO-ID事業部主席技師原 昌宏

QRコードはこうして生まれた

いまや私たちの生活に欠かすことのできない二次元コード「QRコード」。情報社会に一大革命を起こしたQRコードだが、それが日本人技術者の2年間に及ぶ苦闘から生まれたものであることを知る人は少ない。生みの親であるデンソーウェーブの主席技師・原 昌宏氏に、QRコード誕生までの歩みを振り返っていただいた。

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QRコードの新たな用途開発に向けて

——キャッシュレス決済、ウェブサイトへの誘導などいまや私たちの日常生活に欠かすことのできないQRコードですが、開発から26年が経過したそうですね。

ええ。QRコードを開発した1994年当初は生産現場での用途が中心で、まさかここまで世界的に普及するとは考えてもみませんでした。携帯電話の普及に伴って街中のいろいろな場所でQRコードを見掛けるようになった時は、本当に感無量でした。まさに技術者冥利みょうりに尽きます。

——現在も現役の技師として、新たな開発にチャレンジを続けられていると聞いています。

僕たちの会社には、QRコードを使ってこういうことをやってみたいという要望が各方面から寄せられていまして、その実現方法をお客様と共に考える用途開発の仕事に主に取り組んでいます。
最近の例で言えば、東京の都営地下鉄の車両にられたQRコードをホーム側のカメラで認識することにより、転落防止用のホームドアを開閉させるシステムの開発に成功しました。JR山手線の新駅・高輪たかなわゲートウェイ駅ではいまQRコードが取りつけられた切符の実証実験をやっていて、QRコードをICカード並みに高速で読み取れる装置の開発をJREM(JR東日本系列の機器メーカー)様と共同で進めているところです。
この他、災害時の医療現場での活用なども期待されています。災害時は通信機能が途絶え、オフラインをどう運用するかが重要になってくるわけですが、持病などの医療情報をQRコード化し、それをスマートフォンですぐに見られるようにすることで災害関連死を防ぐことができます。

——原さんは、子供の頃から発見や開発に興味がおありだったのですか。

僕は東京で生まれ、2歳から12歳まで大阪に住んでいました。その後東京に戻って関西弁で話していたら、友達に笑われましてね。そこから人と話すのがあまり好きではなくなりました。その頃に興味を持ち始めたのが、プラモデルや電子工作キットを使った物づくりでした。
僕の父親がやはり技術者で、電子部品のレジスター(抵抗器)の特許を持っていました。周りの人たちから「すごい」と言われる様子を間近で見ていたことも、この道に入った一つのきっかけかもしれません。

——自動車部品大手のデンソーに入社されたのは、技術者を志されていたからですね。

技術重視の会社だったことは、やはり大きかったですね。先輩からデンソーは音声認識装置の開発をやっていると聞いて、「コンピュータがまだ普及していない時代にそこまでやっているのか」と衝撃を受けたことが入社の動機となりました。

デンソーウェーブAUTO-ID事業部主席技師

原 昌宏

はら・まさひろ

昭和32年東京都生まれ。法政大学工学部卒業後、自動車部品大手デンソーに入社。バーコードリーダー、QRコードの開発などを手掛ける。現在はグループ会社のデンソーウェーブでAUTO-ID事業部主席技師を務める。