2024年1月号
特集
人生の大事
対談2
  • 花まる学習会代表高濱正伸
  • 平野卓球センター監督平野真理子

教育の根本は
愛にあり

卓球界で小さい頃から注目を浴びながら世界で活躍する平野美宇選手。その母である真理子さんは三姉妹を育てる傍ら、卓球教室を開き、競技力だけではなく人間力を育てることを大切にしているという。同じく「メシが食える大人を育てる」という理念のもと、全国に360校以上の「花まる学習会」をつくってきたのが創業者である高濱正伸氏である。お二人にご自身の子育てを振り返りつつ、教育で最も大事なことは何か、縦横に語り合っていただいた。

この記事は約25分でお読みいただけます

教育の道に進んだきっかけ

平野 高濱先生、お久しぶりです。以前、私の著書の中で対談していただきましたが、それ以来ですね。

高濱 あれは確か……。

平野 2017年です。高濱先生にもう一度会えるなんて光栄で、本当に楽しみにしていました。
きょうは「人生の大事」というテーマをいただきましたが、なかなか大きいテーマですので、難しいなと感じています(笑)。

高濱 そうですね(笑)。指導者である私たちにとっては教育における大事なことは何か、というようなお話をできればと思っていますが、そもそも平野さんが卓球教室を始めたのはいつ頃ですか?

平野 2003年に始めたので、ちょうど20年、びっくりですね。初めは卓球台が1〜2台ある部屋を借りてやっていたのですが、手狭になり2005年に卓球センターを建て、現在に至ります。

自身の卓球教室で老若男女、障碍の有無を問わず指導している平野さん。

もともと私は小学生の頃からの夢であった教員の仕事を地元の静岡で10年近くやっていたんです。とことんのめり込む気質なので忙しく、長女の美宇みうが1歳の時、仕事終わりにお迎えに行くと必ずビリ。帰宅するとさあご飯、さあお風呂、さあ寝る準備と、我が子をゆっくり見てあげる余裕がなかったんですね。母親として我が子の成長に携わりたいと考え、夫の実家がある山梨に移ったタイミングで教員の仕事は一旦辞めました。

ご息女の三姉妹もここで卓球を始めた。

子供たちの成長に関わる仕事は続けたいと考えていたら、知り合いから卓球を教えてほしいと頼まれました。たまたま夫の実家に卓球台がありましたので、週2回くらいなら子育てと両立できるかなと思って、生徒3人の卓球スクールを始めました。ところがあれよあれよという間に生徒が増え、いまでは平日は毎日、午前と午後に分けて老若男女問わず教えています。だから教師時代の何倍も忙しくなってしまいました(笑)。高濱先生はどうして教育の道に?
高濱 僕も一つのことにのめり込むととことん突き詰めなければ気が済まないタイプなんです。大学生だった24歳の時に1年間だけ徹底して哲学をしようと考え、相棒とひたすら「人は生きるべきか死ぬべきか」「なぜ仕事をしなきゃいけないのか、それは絶対か」みたいなテーマでかんかんがくがくの議論をしていたんです。
その中で「金持ちになったら何をしたいか」という話題に及びました。よく南の島でのんびりとか言いますけれど、僕は熊本出身なので地元に帰ればすぐにできるし、3日で飽きるなと。で、誰かのために役立った時が一番幸せだというのが最終的に辿り着いた結論で、そうしたら仕事というのはやるべきだよねと。それに生活のためにはお金を稼ぐことが必要なので、では何を仕事にすべきか。様々な仕事をリサーチする中で、教育か映画か落語か音楽、この4つが楽しく生きていけそうだなと。

平野 4つの中で教育だけ異色ですね(笑)。

高濱 自分が飽きない。子供に接している瞬間って、本当に可愛くて飽きなくて、こういうのって他にないよねって。例えば、100億円のダイヤがあったとして、最初は「わぁー!」って感動しても、3日も経てば飽きるんです、絶対に。本当に飽きないものって、自然の中にあるものとか子供たちの無邪気な姿とか。これこそが本質だと。
それに、世の中の仕事が何のためにあるのかを突き詰めると、究極は次世代のためにあるのだと思い至ったんです。道路や水道をつくり、様々なサービスを提供するのも、結局は次世代に命を引き継ぐためのもの。そう考えるとやっぱり教育が一番いい仕事じゃないかと思ったんです。

花まる学習会代表

高濱正伸

たかはま・まさのぶ

昭和34年熊本県生まれ。東京大学農学部卒、同大学院農学系研究科修士課程修了。平成5年33歳の時に「メシが食える大人を育てる」という理念を掲げ、「数理的思考力・読書と作文を中心とした国語力・野外体験」の三つを主軸にした花まる学習会を設立。7年には小学4年生から中学3年生を対象に進学塾スクールFCを設立。主な著書に『つぶさない子育て』(PHP研究所)『勉強の面白さってなんだろう』(KADOKAWA)など。

教師の仕事を通じて教わったこと

高濱 この歳になると周りの友達は引退し始めていて、同窓会で集まると「高濱が一番幸せそうだ」と言われます。地元の熊本高校は医者になった人が多い学校で、僕自身も父が開業医でしたが、「成績がいいと医学部に行けるよ」「開業医になると稼げるし安定している」、こう言われるのが嫌で嫌で。絶対にそうならないと決めていました。まあ、医者になったらなったで絶対に何か楽しめる道を発掘していたと思いますが、この道を選んで悔いがない。いまも毎日、子供たちとの授業にワクワクするし、楽しいんです。
だから何で皆、この楽しさを知らないんだろうなあって。就活の時も時給はいくらで、年間休日がこっちのほうが2日多いとか、そんな待遇ばかりに目がいっている。
もっと本当に心がワクワクするものを探し出せよ君たち! みたいな。それを見出した人はやっぱり幸せな人生を送っていますよ。そういうイキイキと生きている大人の実感を、子供たちに伝えたい。ちょっと長くなりましたが、そういう思いで教育を選んだんです。

子供たちへの授業が大好きだと語る高濱氏。

平野 その考え、まったく同感です。私も先生になるのが小さい頃からの夢でしたから、仕事が忙しくて大変でも本当に楽しく、自分の器をめちゃくちゃ大きくしてもらったという感謝しかありません。
最初に勤めた学校がたまたましょうがいのある子供たちが通う支援学校だったんです。ここでの3年間、しかも20代前半という多感な時期の3年間は本当に人生観を変える経験でした。

高濱 どんな子供たちを受け持ったのですか?

平野 肢体したい不自由児のクラスでした。大半の子が車椅子か杖を使っていて、私が担当した子も脳性麻痺まひで重度の障碍を抱えていました。体が硬直して動かないので、トイレ、食事、着替えなどすべてに介助が必要で、言葉も「あいうえお」が言えないんですね。でも、「ああ」「んっ」といった日本語にはならない言葉の奥に、しっかり感情が入っている。必死に伝えようとしてくれている言葉があるので、それをいかに読み取るか。
私たちは普段、言葉で話せてしまうので知らず知らずのうちに内面を見ることをおこたったり、つい外見や言葉尻で勘違いをしてしまったりしがちだと思うんです。でも、その子は着飾るとか見栄を張るとかそんなものじゃなくて、全身全霊で自分の心や気持ちを、その子の魂をぶつけてくれるんです。
もちろん信頼関係が築けていないうちは意思疎通もできないし、お手洗いに連れて行っても緊張で出ない。3か月くらいは全然うまくいかなかったです。でもこの経験のおかげで、当たり前ですけど人間はいくつになっても勉強なのだと教えていただき、子供と真っすぐ向き合えるようになりました。
うちの三女は発達障碍なんです。それを落ち着いて受け入れることができたのも、卓球スクールで障碍のある人もない人も一緒に楽しめているのも、すべてこの時の学びがベースになっています。

平野卓球センター監督

平野真理子

ひらの・まりこ

静岡県生まれ。筑波大学時代は卓球部の主将を務める。卒業後、静岡にて10年間教鞭を執る。山梨に移り、平成15年に平野卓研(現・平野卓球スクール)を立ち上げる。三人姉妹の子育ての傍ら、約80名の老若男女に卓球を指導している。長女は東京オリンピック卓球女子団体銀メダルを獲得した美宇選手。著書に『美宇は、みう。』(エッセンシャル出版社)がある。