2020年9月号
特集
人間を磨く
対談
  • (左)慈愛園子供ホーム元園長潮谷愛一
  • (右)福井大学子どものこころの発達研究センター教授友田明美

親と子の幸せを創る子育て

平成30年度に児童相談所に寄せられた児童虐待相談対応件数は15万件を超える。家庭内でのドメスティックバイオレンス(DV)の増加にも歯止めがかからない。いま日本の家庭に何が起こっているのか。社会福祉法人慈愛園(熊本県)で子どもの教育に生涯を捧げてきた潮谷愛一氏と、脳科学の分野から虐待やDVにアプローチしてきた福井大学子どもこころの発達研究センター教授の友田明美氏に、日本の育児を取り巻く問題点を交えながら、家庭に笑顔を取り戻すヒントを語り合っていただいた。

この記事は約24分でお読みいただけます

子どもたちを幸せにしてあげたい

友田 きょうは貴重な機会をありがとうございます。私が当時熊本県知事をされていた潮谷先生の奥様(現・慈愛園じあいえん理事長)に初めてお会いしたのは、アメリカ留学から母校の熊本大学に戻ってきた平成18年でした。その頃から、私は脳科学の分野から本格的に子どもの虐待について研究するようになったのですが、子どもを取り巻く大変な状況を何とかできないだろうかと、不遜ふそんにも県知事室を訪ねて奥様に訴えたんです(笑)。
そうしたことがあって、今回この慈愛園で潮谷先生との対談の機会をいただきましたから、ああこれはもう運命だと思いました。
慈愛園は2019年創立100周年を迎えられましたね。本当に素晴らしいことです。潮谷先生も、慈愛園で何10年と様々な事情を抱える子どもたちに向き合ってこられた。

潮谷 この慈愛園は大正8(1919)年、モード・パウラスというアメリカ人の女性宣教師が、誰もが神様の愛に恵まれた生活ができるようにと、設立した施設なんです。モード先生はアメリカで寄付をつのり、熊本市内に2万平方メートルの土地を買ってホームを建設し、捨てられた子どもや病気をわずらった赤ちゃん、お年寄りまでここに集めました。当時の日本人の生活はまだ貧しくて、親から置き去りにされたり、捨てられたりする子どもたちが大勢いました。
そして昭和27年、モード先生に師事していた僕の父・潮谷総一郎が運営を任されまして、その後を僕たち夫婦が引き継ぎ、現在に至るというわけです。僕自身も幼い頃から当園で親のいない子どもたちと接してきたのですが、やはり、原点は戦争なんですよ。

友田 ああ、戦争ですか。

潮谷戦争で親を失った子どもたちとここで一緒に暮らしたことが僕の原点。その時に、親がいないということはどんなに大変なことであるかを実感し、どうすれば親のいない彼らを幸せにできるかが人生のテーマになったんです。

慈愛園子供ホーム元園長

潮谷愛一

しおたに・よしかず

昭和14年熊本県生まれ。37年日本社会事業大学卒業。45年アメリカウィッテンバーグ大学交換留学。アメリカ・情緒障害児施設研修。元尚絅大学短期大学部助教授。59年から平成15年まで社会福祉施設・慈愛園子供ホーム園長。17年から九州ルーテル学院大学教授。27年から同名誉教授。熊本市社会福祉協議会会長も務める。

母性愛は母と子の相互作用で生まれる

潮谷 それで、心理学を勉強しようと福祉関係の大学に進んだのですが、結局、求める答えは見つかりませんでした。子どもたちを幸せにできるのは親しかいない、他人は親の代わりになり得ないというのが大学で得た結論でした。
大学卒業後は、養護施設に勤めたのですが、ここでも親のいない子どもたちの期待に応えるのがいかに難しいか、悩みはふくらむ一方でした。これはもう自分の経験では太刀打たちうちできないなと、壁にぶつかったんです。

友田 その壁はどのように乗り越えていかれたのですか。

潮谷 ちょうど、僕が30歳だった昭和45年にアメリカ留学の話が舞い込んできまして、オハイオ州にある情緒障害児施設で1年間研修しながら、昼間は現地の大学で学ぶことになったのです。この留学体験が福祉や子育てのあり方について、後に自分なりの答えをつかむきっかけになりました。
当時、日本の情緒障害児施設には小学校高学年くらいまでの子どもしかいなかったのですが、アメリカのその施設では中学生、高校生約30人が支援を受けていました。私はそこで、子どもの情緒障害とはどういうものかを目の当たりにすることになるんですね。
施設では毎日のように子どもたちが入所児や職員に暴言を吐き、暴力を振るう。普段はおとなしくて頭もよいのに、何かのきっかけで感情が揺らいだらもう手がつけられなくなってしまう。入所児たちは、施設内にピストルを隠していました。もちろん更生のための様々なプログラムが用意されているのですが、まず治らない。同じ子どもなのに、日本と比べてアメリカにはどうしてこんなにも問題児が多いのかと痛感しました。

友田 当時のアメリカの子どもを取り巻く状況がどれほど大変であったのかが、伝わってきます。

潮谷 そして、1年経って日本に戻り、しばらくは短大の教師をしていたのですが、その中でアメリカの動物心理学者であるハーロウが行ったサルの実験と出逢ったんです。ハーロウのサルの実験が初めて発表されたのは、僕がちょうどアメリカを離れた昭和46年頃でしたが、その日本語訳が昭和53年に出版されたのです。

友田 とても有名な本ですね。

潮谷 その本には、「母子相互作用」という考え方がきちっと出ています。実験で、おっぱいの出る母猿がいるおりにまず子猫を入れてみると、母猿は近づくけれども子猫は逃げていくんです。次になかなかなつかない子猿を入れる。これもやはり、母猿は近づくけれども子猿は逃げていき、2匹は知らん顔をして同じ檻の中で過ごす。
最後に目の見えない子猿を入れてみる。そうしたら、目の見えない子猿が母猿を触ってしがみつきおっぱいを飲んだ。すると、母猿はこの子をいつも抱くようになった、好きになったのです。要するに、母子の愛情というのは相互作用であり、母性愛は子からもらうものなんです。子が触れる、子がおっぱいを飲む、これは「アタッチメント(愛着)」とも言いますが、それによって「ああ、この子はいとおしい」と愛着が出てくるのです。
ちなみに、ハーロウの本の原題は『Learning to love』で、日本語訳の題は『愛のなりたち』。僕の名前は「愛一よしかず」ですから、余計にこの本が気になりました(笑)。

友田 潮谷先生の人生を表しているような素敵なお名前です(笑)。

福井大学子どものこころの発達研究センター教授

友田明美

ともだ・あけみ

昭和35年熊本県生まれ。熊本大学医学部卒業。平成2年熊本大学病院発達小児科勤務。15年米マサチューセッツ州の病院に留学。18年熊本大学大学院准教授を経て、23年より現職。同大学医学部附属病院子どものこころ診療部部長を兼任。日米科学技術協力事業「脳研究」分野グループ共同研究の日本側代表を務める。著書に『子どもの脳を傷つける親たち』『親の脳を癒やせば子どもの脳は変わる』(共にNHK出版)など多数。