2021年3月号
特集
名作に心を洗う
対談
  • (左)郷学研修所、安岡正篤記念館前副理事長兼所長荒井 桂
  • (右)全国木鶏クラブ代表世話人会会長三木英一
人格を陶冶してくれる

安岡教学の世界

郷学研修所前所長の荒井 桂氏と、全国木鶏クラブ代表世話人会会長の三木英一氏は共に昭和10年生まれ。東京教育大学の同窓で、長年、安岡教学を学び続けたという共通点もある。不思議な道縁を感じるというお二人に、安岡教学との出合いや魅力などを語り合っていただいた。

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不思議な道縁に導かれて

三木 荒井さんしばらくです。きょうは私淑ししゅくする安岡正篤まさひろ先生について一緒にお話しができるというので、楽しみにしてまいりました。ただ、荒井さんは安岡教学に関する本を何冊も出されていますから、私でお役目を果たせるかと……。

荒井 とんでもありません。三木さんは『致知』の読者の会である木鶏もっけいクラブの全国代表世話人会会長でいらっしゃり、また地元・姫路では英斎塾えいさいじゅくという人間学の勉強会を長年続けられている。私こそきょうは学ばせていただけることを楽しみにしてきました。

三木 姫路木鶏クラブは設立してから33年、英斎塾は26年になりますが、85歳のいまもこうして元気で活動できているのは何よりもありがたいことだと思っています。

荒井 三木さんと私は同じ昭和10年生まれですね。しかも、三木さんは英米文学科、私は東洋史学科と学科こそ違え同じ東京教育大学(現・筑波大学)の出身ということで、とても不思議なご縁を感じているんです。

三木 学生時代はまったく存じ上げていなかったし、同じように教師としての道を歩みながら、教科が違っていますし、校長になってからも、教育委員会時代の会合などでも会うということは一度もありませんでしたね。

荒井 最初にお会いしたのは、10年ほど前、確か致知出版社の新春特別講演会の場ではありませんでしたか。

三木 そうでしたね。その後、荒井さんには姫路師友会しゆうかい(安岡正篤先生を師と仰ぐ人たちの会)や赤穂あごう山鹿素行やまがそこう研究会でご講演をいただくなど、今日に至るまで親しくさせていただいてきました。

荒井 安岡先生の高弟でいらした伊與田覺いよたさとる先生が、最晩年の安岡先生を見舞われた時、「道縁どうえん無窮むきゅうだね」とつぶやかれたというお話を伊與田先生から直接伺って深い感銘を受けたことがあります。道によって人と人とが結びつきが生まれる様を道縁と呼ぶのでしょうが、こうして三木さんとご縁をいただけるのもまた不思議な道縁でしょうね。
きょうは英米文学という横文字を学んでこられた三木さんが、どういうきっかけで安岡教学と出合い、学びを深めてこられたかについて、改めてお話をお聞きできたらと思っているんです。

三木 僭越せんえつながら私から口火を切らせていただくと、安岡教学に触れたのは私が40代後半の頃でした。昭和58年に安岡先生が亡くなられた後、いろいろな出版社から安岡先生の著作、講演録が出るようになり、『王陽明おうようめい研究』『日本精神の研究』『日本精神通義』『経世瑣言けいせいさげん』などを手に取って読むようになったのがそもそもの出合いですね。
そして私が平成4年に入会いたしました姫路師友会の田中昭夫会長さんが、20代からの安岡正篤先生の面授めんじゅのお弟子さんであったことや、その後は伊與田覺先生、林繁之先生をはじめ何人ものお弟子さん方、またご親族の方々から話を聞く機会にも恵まれてきました。

40代半ばといえば、私が兵庫県教育委員会にいた頃で、当時の担当は英語教育や国際理解教育でした。アメリカやイギリスから若い優秀な人材を英語教員の助手として受け入れる中で、人間としてのリーダー論や東洋思想、日本の伝統文化について学びを深める必要性を痛感するようになりましてね。そういう時に出合ったのが安岡教学だったわけです。
振り返りますと、安岡教学を学びそれを実践してきたのがそれからの私の後半生でした。安岡先生に私淑し、伊與田先生など多くの先達せんだつに育てていただいたことを思うと、「縁尋機妙えんじんきみょう多逢聖因たほうしょういん」という安岡先生のお言葉をみ締めずにはおれません。

全国木鶏クラブ代表世話人会会長

三木英一

みき・えいいち

昭和10年大阪府生まれ。東京教育大学文学部卒業(英語学・英米文学専攻)。以来40年間兵庫県で高校教育、教育行政に従事。退職後、次世代の人材育成活動に従事。現在全国木鶏クラブ代表世話人会会長を務めるほか、英斎塾という人間学の勉強会を主宰。平成6年教育者文部大臣表彰、7年兵庫県教育功労賞、17年春の叙勲にて瑞宝小綬章受章。現在、日本会議兵庫会長、美しい日本の憲法をつくる兵庫県民の会共同代表。兵庫縣姫路護國神社総代会長。姫路市遺族会長、英霊にこたえる会兵庫県本部会長等の役職を務めている。

謦咳に接しなかったから分かる世界がある

荒井 私と安岡教学との出合いについて申し上げますと、私は3歳の時に父を亡くし母子家庭で育ったものですから、現役合格でなきゃいかんというので東京教育大学で最も入りやすかった東洋史学科に進みました。昔読んだ俳句に「人の行く裏に道あり花の山」という句がありますが、私が進んだのは裏街道だったけれども、そこで漢文や東洋史を学んだおかげで安岡教学に出合い、いまの自分があることを、いましみじみと実感しておりますね。

安岡先生が埼玉県比企ひき菅谷すがや村(現・嵐山町らんざんまち)に、日本の農業を担う若者を育てる日本農士学校を立ち上げられたのは昭和6年のことです。そのそばで生まれ育った私は、大人たちから「農士学校に偉い先生がいらっしゃる」と聞いていたのですが、先生とのご縁は得られず、直接謦咳けいがいに接し感化を受けることはありませんでした。時を経て埼玉県教育長をしていた時、嵐山町町長をなさっていた関根茂章もしょう先生から安岡先生の本を薦められまして、それからというもの安岡教学に没入していくという人生でございました。

三木 荒井さんが安岡教学を本格的に学ぶようになられたのは、確か教育の道を退職されてからではありませんでしたか。

荒井 はい。ですから非常に遅いわけですが、これも何かの縁でしょうか、菅谷の地に建てられた郷学きょうがく研修所の所長、安岡正篤記念館館長を仰せつかることになりました。私は安岡先生の面授の弟子ではありませんが、しかし、そのことでかえって安岡教学の全体像を知ることができたように思います。安岡先生の人格的な影響を受けていたとしたら、その部分が強烈に心に焼きつけられてしまって、全体を公平に見渡す余裕は生まれなかったかもしれません。

三木 荒井さんのいまのお話を伺いながら、平成4年、私の誕生日である3月17日に、完成したばかりの記念館を訪問した時のことが懐かしくよみがえってまいりました。
その頃所長を務められていた柳橋由雄先生に館内をご案内いただいたのですが、書庫を拝見した時、厖大ぼうだい和綴わとじの漢籍に交じって、ドイツ語や英語の洋書ばかりのコーナーがあるのが目にまりました。それらの本を手に取らせてもらいながら、古今東西の教えに通底つうていされた安岡先生の博覧強記はくらんきょうきぶりに圧倒されたものです。この日、柳橋先生にサインをしていただいた『王陽明研究』はいまも私の宝物の一冊です。

郷学研修所、安岡正篤記念館前副理事長兼所長

荒井 桂

あらい・かつら

昭和10年埼玉県生まれ。東京教育大学文学部卒業(東洋史学専攻)。以来40年間、埼玉県で高校教育、教育行政に従事。平成5年から10年まで埼玉県教育長。在任中、国の教育課程審議会委員並びに経済審議会特別委員等を歴任。16年から令和2年まで郷学研修所所長。安岡教学を次世代に伝える活動に従事。著書に『「格言聯璧」を読む』『「資治通鑑」の名言に学ぶ』『山鹿素行「中朝事実」を読む』『「小學」を読む』『安岡教学の淵源』(いずれも致知出版社)など。