2022年9月号
特集
実行するは我にあり
  • 石井記念友愛社理事長児嶋草次郎
天は父なり 児童福祉のパイオニア

石井十次の歩いた道

現在のような社会保障制度が存在しなかった明治の変革期、行き場を失った孤児たちを生涯に3,000人も救済した石井十次。根強い偏見や資金難を乗り越え、かつてない救済事業を実現できた力の源泉は何か。十次の曽孫である石井記念友愛社の児嶋草次郎理事長に、歴史に埋もれた先人の足跡と、その伝承に懸ける思いを明かしていただいた(写真:明治39〈1906〉年、東北の冷害で行き場を失った孤児を救済し、1,200名を収容した「岡山孤児院」)。

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子供たちの心を本当に育てるもの

社会福祉という言葉もなかった明治時代、急激な近代化が進むかたわら、様々な理由で親を失い、助けを必要とする子供が多く現出しました。そうした子供たちを預かり、日本で最初の本格的孤児院を創設した人物、それが石井じゅうです。

「天は父なり 人は同胞なれば互いに相信じ相愛すきこと」

生涯を孤児救済に捧げた十次が最晩年に遺した言葉です。この精神を基本理念に受け継いだのが、私が理事長を務める社会福祉法人石井記念友愛社(宮崎県)です。

十次の死後、その施設は経済的困窮から休眠状態に入りました。しかし日本が終戦を迎えた1945年、国中に戦災孤児があふれると、十次の孫である父・児嶋こういちろうが再び火をともしたのです。最初の頃は児童養護施設が中心でしたが、地域の方の要望に応えるうちに規模が拡大。現在は保育園を計10か所、また高齢者のデイサービス、障がい者就労支援事業所など県内に合わせて20余りの施設を運営するまでになりました。

決して利益のためではありません。日本の社会には元来、地域が手をたずさえ、年齢や障がいの有無を超えて大家族主義で支え合ってきた歴史がある。子供たちも輸入された個人主義的教育や小手先のマニュアルではなく、そうした精神文化の中でこそ育つと信じ、実践に努めてきました。その体現者が、他ならぬ石井十次でした。

私はこの友愛社に生まれ、施設の子供たちと一緒に育ちました。半ば宿命のごとく十次の逸話を聞かされ、昔は「血がつながっているなんておそれ多い」と劣等感すら抱いていましたが、20代半ばから、様々な過去を持つ子供たちを導く職員になって以降、その教えに幾度となく勇気づけられてきました。

石井記念友愛社理事長

児嶋草次郎

こじま・そうじろう

昭和24(1949)年宮崎県生まれ。石井十次の孫・虓一郎の次男。48年明治学院大学卒業後、社会福祉法人石井記念友愛園で児童指導員となる。同園長を経て、平成3(1991)年より社会福祉法人石井記念友愛社(宮崎県)理事長。