2018年10月号
特集
人生の法則
対談
  • (左)臨済宗円覚寺派管長横田南嶺
  • (右)作家五木寛之

人生のヒント

限りある命をどう生きるか

五木寛之氏が、かの臨済宗僧侶・松原泰道師と『致知』誌上で対談したのは平成20(2008)年。読者からの反響を受け、お二人による書籍、講演会にも発展した。あれから10年。鬼籍に入った松原師の志を継ぐ横田南嶺氏が五木氏と対面する。当代一の人気作家と宗門の一派を担う禅僧は、いまの世をどう捉えているのか。お二人の語り合いから、この大転換期を歩んでいくための人生の法則を探った。

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29年間教えを受けた心の師

横田 本日は、お目にかかれて光栄です。
私のような若造が相手で本当にいいのかと、戦戦兢兢せんせんきょうきょうとしていました(笑)。

五木 いや、私こそお会いできるのを楽しみにしていました。『致知』のご対談やご著書『禅が教える人生の大道』(致知出版社)を拝見しましたが、つい引き込まれて睡眠不足になりました。実に面白かったですね。面白いというと失礼に聞こえるかもしれませんが、私にとっては最大の称賛の言葉なのです。

横田 恐れ入ります。

五木 ところで、こちらへ来る車の中でずっと気にかかっていたんですけど、何とお呼びすればよろしいのでしょうか。私よりずっとお若いのに「老師」とお呼びするのもどうかと。花園大学の総長もなさっているそうですから、「先生」がよいかと思っていたのですが。

横田 よろしければ、横田さんとお呼びください(笑)。お坊さんというのは一流になると「さん」付けになるんですよ。一休さんも良寛りょうかんさんも白隠はくいんさんも、皆そうでしょう。

五木 それはいいことを伺いました。なるほど。

横田 ですから私は、お寺で「管長」とか「老師」とか呼ばれる度に忸怩じくじ
る思いがしていまして、いずれ自分も「横田さん」とか「南嶺さん」と呼ばれるようになったらいいなと思っているんです(笑)。

五木 ではきょうはご提案どおり、お互いに「さん」ということで……(笑)。

横田 はい、よろしくお願いします(笑)。
事前に私の本をお読みくださったそうですが、私も師と仰いでおりました松原泰道たいどう先生と五木さんがご対談なさった時の『いまをどう生きるのか』(致知出版社)という本を読み返してまいりました。先生はこの本が出て7か月後に102歳でお亡くなりになりましたから、私にとっては先生から最後にいただいた本になるんです。

五木 なつかしいですね。10年前の本ですよ。松原先生が101歳、私が76歳で、2人合わせると200歳近かった(笑)。とても有意義な対談で、あの後致知出版社の講演会でもご一緒させていただいているんです。
横田さんは松原先生とはどういうご縁でいらしたのですか。

横田 高校の頃に泰道先生がラジオで『法句経ほっくきょう』の講座をなさっていたのを聴いて、大変感銘を受けましてね。ぜひともお目にかかりたいと思ってお手紙を書き、面談がかなったのが15歳の時でございました。泰道先生は講演で全国を回っておられたために弟子は取られませんでしたが、私はずっと泰道先生のことを我が心の師としてお慕いしています。

五木 ほう、15の時からですか。まだ少年の時分ですけど、何か大きな煩悶はんもんでも抱えておられたのでしょうか。

横田 そもそも私が仏教に触れるきっかけとなったのが祖父でした。2歳の時に祖父が亡くなって、人間というのは死ぬものであると知りました。それから火葬場のことが記憶に鮮明に残っているんです。当時の火葬場はまだ綺麗きれいではなくて、焼き場と呼ばれていたんですが、そこで祖父のおひつぎをかまどに入れ、ふたを閉めて焼く。大変衝撃を受け、死ということを常に意識する変わった少年時代を過ごしましてね。天理教やキリスト教や浄土真宗や、いろんな宗教の話を聞きに行く中で坐禅に行き当たり、「よし、これだ」と思ったのが10歳の頃でした。
そういう中で聴いた泰道先生の『法句経』の講座は実に分かりやすく、明解だったのです。初めてお目にかかった時の泰道先生は、まだ72歳のお元気な盛りで、それからお亡くなりになるまで29年間、様々な教えをいただきましたから、私が泰道先生について話し始めると止まらなくなるんです(笑)。

作家

五木寛之

いつき・ひろゆき

昭和7年福岡県生まれ。27年早稲田大学露文科入学。41年小説現代新人賞、42年直木賞、51年吉川英治文学賞を受賞。また英文版『TARIKI』は平成13年度『BOOK OF THE YEAR』(スピリチュアル部門)に選ばれた。14年菊池寛賞、22年『親鸞』で毎日出版文化賞を受賞。

あの前途有為な若い人たちに申し訳ない

横田 きょうは泰道先生とご縁のある五木さんにも、ぜひ聞いていただきたいお話がございます。
先般、オウム真理教事件の刑が執行されましたけれども、あの事件があった平成7年の秋に、泰道先生は臨済りんざい会主催の講演会で講演をなさいました。当時は、教祖の麻原はけしからん、若いインテリがあんなものにかぶれて殺人まで犯すとはなんたることだという声が渦巻いておりました。特に宗教関係の人はオウム真理教を強く批判していましたけれども、泰道先生の態度はまったく違っていました。
先生はその講演で、
「いま日本中の人がオウム真理教の批判家になっている。私は批判する前にあの前途有為な若い人たちに申し訳ないと思う。あの前途有為な若い人たちがなぜ道を外れてしまったのか、批評をする前に、私自身が仏教の正しい布教ができなかったということを申し訳なく思うのです」
 とおっしゃったんです。あの時は心が震えるような感動を覚えました。このご発言は泰道先生の人となりをよく表していると私は思っています。

五木 それは初めて伺いました。なるほど。あのオウム真理教の事件については、日本の知識人や宗教家からいろんな発言がありましたが、どれ一つとして心から納得できるものはありませんでした。いま伺って、その松原先生のお話には非常に心を打たれるものがありますね。

横田 五木さんにそうおっしゃっていただけると、私も嬉しく思います。

五木 実はあの事件について、私は少し苦い思いがありましてね。あの頃、教団の本部で刺殺された村井という幹部がいたでしょう。彼は生前に一冊の本を母親に渡して、自分のやっていることはこれを読んでもらえば分かると言ったそうなんですが、その本が私の訳した『かもめのジョナサン』だったというんです。そのことが心の内に何か釈然としない、傷のようなものになって残っていたのですが、それだけに松原先生のご発言には一層打たれるものがあります。

横田 泰道先生は「仏教の正しい布教ができなかった」とおっしゃいましたけれども、ご自身は決して怠慢たいまんだったわけではありません。講演に執筆に、あれほど努力をなさっていた方はいません。その泰道先生が「申し訳ない」と慚愧ざんきに堪えない思いを抱かれていたことを、私はいまでも忘れることができません。
ただ、お坊さんの中にはその泰道先生の言葉をよしとしない人もございました。別に自分たちのせいじゃないだろうと。そういう声を聞くと、仏教界の闇というものを感じるんです。

五木 いや、松原先生のご発言は、宗教者として一番正しい、感動的な態度だと私は思いますよ。いいお話を伺いました。

臨済宗円覚寺派管長

横田南嶺

よこた・なんれい

昭和39年和歌山県生まれ。62年筑波大学卒業。在学中に出家得度し、卒業と同時に京都建仁寺僧堂で修行。平成3年円覚寺僧堂で修行。11年円覚寺僧堂師家。22年臨済宗円覚寺派管長に就任。29年12月花園大学総長に就任。最新刊に『自分を創る禅の教え』(致知出版社)。