2010年、我が国を代表する名門企業・日本航空(JAL)が経営破綻した。負債総額は事業会社として戦後最大の2兆3,000億円超。そのJALを、僅か1年で黒字化、2年半で再上場へと導いたのが、かの稲盛和夫氏である。誰もが不可能と断じた再生は、いかにして成し遂げられたのか。稲盛氏とともに京セラから再生に臨んだ大田嘉仁氏と、整備本部長として現場の指揮に尽力した佐藤信博氏にご対談いただき、変革の要諦を探った。
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日本航空技術協会会長、日本航空 元副社長
佐藤信博
さとう・のぶひろ
昭和25年大分県生まれ。44年日本航空入社。羽田整備事業部長、整備本部副本部長などを経て、平成22年2月日本航空執行役員整備本部長、JALエンジニアリング代表取締役社長に就任。24年2月専務執行役員整備本部長、JALエンジニアリング代表取締役社長。26年4月代表取締役副社長(28年3月退任)。29年6月公益社団法人日本航空技術協会代表理事会長に就任。
京セラ元取締役執行役員役員、日本航空元専務執行役員
大田嘉仁
おおた・よしひと
昭和29年鹿児島県生まれ。53年立命館大学卒業後、京セラ入社。平成2年米国ジョージ・ワシントン大学ビジネススクール修了(MBA取得)。秘書室長、取締役執行役員常務などを経て、22年12月日本航空専務執行役員に就任(25年3月退任)。27年12月京セラコミュニケーションシステム代表取締役会長に就任、29年4月顧問(30年3月退任)。現職は、稲盛財団監事、立命館大学評議員、日本産業推進機構特別顧問。