2024年3月号
特集
丹田常充実
一人称
  • 実践人の家元副理事福永道子

森 信三先生の
教えを貫いて

立腰教育や躾の三原則など、人育ての神髄ともいうべき実践的な訓言によって、没後30年以上が経ったいまも多くの人を導き続けている教育者・森 信三師。若き日にその謦咳に接し、半世紀にわたり教えを実践してきた福永道子氏が語る恩師との思い出や、学びに耳を傾けた。

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手編みマフラーの思い出

「いまは、の滝の崖っぷちに立って、滝壺を眺めているような心境です」

昭和54年、長年にわたりご指導を賜ってきた森信三先生が最後のご講演に臨まれた際、お心の内をそう吐露とろなさいました。さらにご自身の人生を振り返り、

さまにお世話になるばかりで、何一つ恩返しができない一生でした」

じゅっかいされるのを伺い、私はあふれる涙を止めることができませんでした。「先生、どうかそんなことをおっしゃらないでください。私たちはこれまで、先生にどれほど多くのことを教えていただき、生きる力を与えていただいたか計り知れません」。私は心の中でそう叫んでいました。

森先生との出逢いは昭和46年。玉川大学の通信教育部で小学校教師を目指して勉強していた際、お世話になった岸野靖晴先生が、生涯を通じてご指導をあおぐようにとご縁を結んでくださったのです。森先生76歳、私が26歳の時でした。

それまでの私は、教師をこころざして大学を受験したものの思わしい結果を得られず、いったん電電公社(現・NTT)に就職しました。そして仕事のかたわら通信教育で幼稚園教諭の資格を取り、さらに幼稚園に勤めながら小学校教師を目指していたのです。

いま思えば、こういう遠回りをしなければ、森先生とのご縁に恵まれることはなかったかもしれません。縁とは本当に不思議なものです。こうした経緯をご存じだった先生は、私が同年2月に豊中市の教職員試験に合格したことをご報告すると、我が事のように喜んでくださいました。

国民教育の師父とうたわれた森先生ですが、幼少期より筆舌に尽くしがたいご苦労を重ねてこられただけに、人の気持ちにさとい方でした。お目にかかる度に人相見にんそうみのように私の目をじーっとご覧になって、その時の私から受ける印象を伝えてくださいました。「いい顔をしているね」と言われて喜ぶ私を見て、先生は顔中を口のようにして「わはははっ」と声を立てて笑ってくださいました。

ある方から、「森先生に一番可愛がられたのは福永さんだ」と言われたことがありますが、私も森先生のことが大好きでした。ある時一大決心をして、先生に手編みのマフラーをプレゼントしたことがあります。手芸は大の苦手でしたが、近所の奥様に教えていただきながら3か月かけて一所懸命に編んだのです。

でき上がったマフラーをお渡しすると、先生はそれをグッと胸に抱き締めて喜んでくださいました。「記念写真を撮ろう」と促されて研修会場の屋上に上がり、マフラーを首に巻いた森先生と一緒に撮っていただいた写真は、私の大切な宝物です。後日、先生からのお礼として届いた大きな箱には、水飴がギッシリ詰まっていました。

実践人の家元副理事

福永道子

ふくなが・みちこ

昭和19年岡山県生まれ。玉川大学通信教育部にて教員資格取得。大阪の豊中市立小学校に勤務後、58年あゆみ保育園を開設。森信三師の教育哲学に基づき30年にわたり同園の運営を続けた。