2018年12月号
特集
古典力入門
対談
  • (左)本居宣長記念館館長吉田悦之
  • (右)国際中江藤樹思想学会理事長中江 彰

中江藤樹と本居宣長に学ぶ

身分の別なく万民に学問を授け、近江聖人と謳われて人々の敬愛を集めた中江藤樹。医業の傍ら古典の研究に取り組み、35年の歳月を費やして『古事記伝』全44巻を書き上げた本居宣長。偉大な先人は古典といかに向き合い、そこから何を掴んだのか。それぞれに顕彰活動を続ける中江 彰氏と吉田悦之氏に語り合っていただいた。

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せっかくの出会いを生かしてほしい

中江 吉田さんとのご縁は、去年『致知』愛読者の集いに参加して以来になりますね。講演会場でたまたま隣にいらっしゃった方が、思いがけず本居宣長もとおりのりなが記念館の館長を務めておられる吉田さんだった。本居宣長記念館は33年前に、中江藤樹なかえとうじゅ記念館が設立される際に視察していましたから、非常に親しみを覚えまして、失礼もかえりみずに思わず話し込んでしまいました(笑)。

吉田 こちらこそ、素晴らしい出会いに恵まれて感謝しています。
私の研究の出発点である小林秀雄の『本居宣長』に、近世の学問の出発点として中江藤樹の名が記してあるのを読んだ時から、藤樹先生のことはずっと気にかかっていたんです。本居宣長と中江藤樹は、生きた時代も取り組んだ学問も違いますけれども、中江さんとご縁をいただいたのを機に、2人に共通して流れるものについて考えるきっかけをいただいて、本当にありがたく思っています。
やっぱり講演会には出てみるものですね(笑)。そのご縁で、中江さんに、リニューアル後の館を見ていただくこともできましたし。よかったです。

中江 以前のイメージと様変わりしていましたから、びっくりいたしました。

吉田 去年の2月25日に致知出版社から『宣長にまねぶ』という本を上梓じょうししたんですが、それと同日に竣工しゅんこうして、一般公開を3月1日に始めたばかりでした。
この頃、どうも偉人や古典との接し方が変わってきたようで、ゲームやアニメのコンテンツとなるものにばかり集中して、静かな世界は、敬して遠ざけるという言葉がありますが、どうも軽視して遠ざけられているように思えてならない。そんな中で、展示の仕方を変えることは難しいけれど、アプローチを工夫できないかと、思い切ってリニューアルしました。
せっかく来館いただいても、短い時間で帰ってしまわれるのを見ると、残念でならないのです。人生というのは出会いによって一変することもあるわけで、せっかく宣長という希有けうな人物と出会うチャンスなのに、来館者を手ぶらで帰してしまってはダメだと。とにかくご来館者の滞在時間を延ばしたい。見て何かを得てほしい。リニューアルの目的はその一点でした。なかなか難しいですけどね(笑)。

国際中江藤樹思想学会理事長

中江 彰

なかえ・あきら

昭和28年大阪府生まれ。佛教大学卒業。花園大学大学院修士課程修了(仏教学専攻)。近江聖人中江藤樹記念館長補佐を経て、平成16年同館長に就任。現在は国際中江藤樹思想学会理事長。著書に『中江藤樹 人生百訓』(致知出版社)など。

「只言葉にズントという事を仰せられ候」

吉田 ところで、中江さんはどういういきさつで中江藤樹のことを知るようになられたのですか。

中江 私はもともと中江藤樹の開いた藤樹書院という私塾跡のある滋賀県高島市で、文化財の保存の仕事にたずさわっておりました。藤樹書院は国の史跡として保存されていて、毎年3回行事が行われている関係で、藤樹先生については知る機会が多かったんです。
ところがその後、49歳で記念館の館長に就任して、いざ藤樹先生のことを勉強してみますと、これが難しくて歯が立たない(笑)。それでもがむしゃらに勉強を重ねていくうちに、少しずつではありますが、それまで誰も気づかなかったことを発見するようになったんです。

吉田 それはどんな発見ですか。

中江 例えば、藤樹先生のもとで学んでいた不文字ふもじ馬方うまかた
が、200両の大金を落とした飛脚のために、7里の遠路を届けに行ったという逸話いつわがありまして、これまでつくり話の美談と見なされていました。
しかし、藤樹先生は昼間は侍のために学問を教えていましたけれども、夜は村人のために夜間学校のような形で教えを説いていたらしいのです。そこで他人のものを盗んではならないといった、人としてのあり方を易しく説いていたわけで、馬方がそういう行動を起こすような素地は十分できていたと思うんです。学のない一介の馬方でさえも行動に駆り立てる教育力、感化力に、私は藤樹先生の魅力を改めて見出したわけです。

それまでの私は、来館された方にただ本に書かれていることを説明していただけだったのですが、それでは相手の心に響かないんですね。やっぱり自分の心に響くものをお話ししてこそ、相手に伝わる。その発見が私に自信を与えてくれましたし、そのおかげできょうまで研究を続けることができたとも言えます。あれは私にとって大きな転機でしたね。

吉田 藤樹先生の弟子が書いたものに、

ただ言葉にズントという事を仰せられそうろう

とあります。知識ではなく、自分の心にドンとくるようなものがないとダメなんだと。中江さんは馬方の話が史実であることを発見され深く共鳴された。だから来館者の心に響くお話ができる。いまの中江さんのお話から、来館者と強いつながりを育んでいくことが、記念館の活動では重要であることを実感させられました。
それにしても、藤樹先生の教育力というのは素晴らしいですね。

中江 そのことに関しましては、門人の大野了佐りょうさの話も有名です。
大野了佐という人は、生まれつき物覚えが非常に悪い人でしたが、医者になりたいという志を立てましてね。藤樹先生はその志を大変褒めて、中国の医学書をテキストにして教え始めましたが、いくら教えても覚えられない。そこで先生は了佐のために特別に1,000ページにも及ぶ入門書をつくり、そのおかげで了佐は医者になり、名医とうたわれるまでになったわけです。

藤樹先生は、了佐のために自分は根も尽き果てるくらいに教えたと述懐じゅっかいしていますが、先生の教育力というのはすごいものがありますし、身分の別なく万民を感化した人間性には心熱くなるものを感じます。そういう中江藤樹を、私は敬愛の念を込めて「藤樹先生」とお呼びしているんですよ。

本居宣長記念館館長

吉田悦之

よしだ・よしゆき

昭和32年三重県生まれ。55年國學院大學文学部卒業後、本居宣長記念館研究員などを経て、平成21年同記念館館長に就任。公益財団法人鈴屋遺蹟保存会常任理事を務める。宣長研究は学生時代から換算すると約40年に及ぶ。著書に『宣長にまねぶ』(致知出版社)など。