2016年8月号
特集
思いを伝承する
一人称
  • 作家古川智映子

広岡浅子
九転十起の人生に学ぶ

明治、大正期に活躍した実業家・広岡浅子の生涯を描いた『小説 土佐堀川』。旧弊を引きずる社会において、女性の新しい道を切り開いたその鮮烈な生き方は、テレビドラマにもなり大きな反響を呼んだ。原作者の古川智映子さんに、この希有なる女性を通じて伝承していきたい思いを語っていただいた。

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僅か14行の紹介文に目が吸い寄せられた

あれは私が30代の頃のことでした。結婚生活が破綻し、苦悩のどん底からようやく立ち直りつつあったところで、自らの体験を婦人サークルでお話しする機会をいただきました。内容に厚みを持たせるため、歴史に残る女性のエピソードを盛り込もうと考え、参考資料として取り寄せたのが『大日本女性人名辞書』(高群逸枝・著)の復刻版でした。

収録されていた女性の数は2,000人以上。ページをめくり、順番に読み進めていく中、ある人名のところで私の目はピタッと吸い寄せられるように留まりました。それが女性実業家・広岡浅子との出会いでした。

有名な人物には多くの紙幅が割かれているのに対し、広岡浅子の紹介文は僅か14行。そこには、三井家の娘として嘉永2(1849)年京都に生まれ、17歳で大阪の加島屋広岡信五郎に嫁いだことや、明治維新の混乱期には自ら率先して加島屋の経営危機に立ち向かい、商運を転換して実業家として大を成したこと、社会事業にも積極的に取り組み、日本女子大学の創立に大きな役割を果たしたことなどが簡潔に記してあるだけでした。

しかし、どこか他の女性とは異なる近代的な匂いがし、その紹介文だけが私には浮かび上がって見えたのです。とりわけ強烈な印象を受けたのが、鉱山経営に際しては坑夫たちと起臥をともにし、常に〝ピストル〟を携行してこれに当たったというくだりでした。

あの時代にこんなことをやってのけた女性がいたことに心底驚くとともに、この人を書いてみたいという、やむにやまれぬ思いが込み上げてきました。

とはいえ、当時は広岡浅子のことを知る人はまれで、資料もほとんどありませんでした。それでも小さな手がかりを頼りに懸命に取材を重ね、5年がかりで書き上げたのが『小説 土佐堀川——広岡浅子の生涯』でした。よもやこの作品が、刊行から27年も経ってドラマ化され、大きな反響をいただくことになるとは夢にも思いませんでした。

作家

古川智映子

ふるかわ・ちえこ

青森県生まれ。東京女子大学文学部卒業後、国立国語研究所勤務、教職を経て、文筆活動に入る。代表作『小説 土佐堀川――広岡浅子の生涯』(潮出版社)はNHK連続テレビ小説の原案となり、大きな注目を集める。著書は他に、『一輪咲いても花は花』『氷雪の碑』(ともに津軽書房)『〝あさ〟が100倍楽しくなる「九転十起」広岡浅子の生涯』(潮出版社)などがある。