2025年1月号
特集
万事修養
  • 三浦梅園先生顕彰会会長小串信正

豊後聖人・三浦梅園
の生涯に学ぶ

豊後(大分県)国東の寒村で、営々と思索を深め、独自の哲学体系を打ち立てた三浦梅園。経世済民にも力を尽くし、豊後聖人とも称えられた。その知られざる生涯と業績を、60年以上梅園研究に向き合って来た三浦梅園先生顕彰会会長の小串信正氏に、豊富な逸話を交えて語っていただいた。

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豊後が生んだ万能の天才

うらばいえん(1723~89年)は、文学、儒学、本草学、天文学、医学、政治学、経済学など多岐にわたる学問研究に生涯を捧げた万能の天才であり、日本最初の哲学者といえます。また人々の教育や生活向上にも力を尽くし〝ぶん聖人〟とも称されました。郷里の大分県くにさき市では、没後100年・150年・200年・225年と盛大な記念祭が行われて来ましたが、2023年には市の主催で生誕300年記念祭が開催されました。

これを機に、私が会長を務める三浦梅園先生顕彰会でも誕生日である9月1日(陽暦)に「誕生日の集い」を開くようになりました。西欧では偉人を生誕で顕彰しますので、これからは三浦梅園を世界的な哲学者として研究・顕彰する時代になると自覚しています。

小串家は三浦梅園と縁戚関係にあり、私も教員だった父から郷土の先哲・梅園先生のことを聞かされて育ちました。そして高校時代に文学・哲学に目覚め、大学に進学して以降は、梅園研究に本格的に取り組むようになりました。万能の天才ですので、研究テーマは様々。気づけば60年以上梅園研究を続けることになりました。

梅園学会に所属して論文を寄稿すると共に、1980年、32歳で国東にUターンし、地元に三浦梅園研究会を発足。2013年からは三浦梅園先生顕彰会を創り、研究・顕彰活動をライフワークとして現在に至ります。

最初は梅園先生の教育者、漢詩人、能書家の側面に関心がありましたが、この30年は哲学者としての三浦梅園、「三浦哲学」の研究を深めて来ました。もちろん、豊後聖人としての梅園先生の人徳も魅力的です。

本欄では、梅園の足跡を辿たどりながら、その人となりや哲学について語ってみたいと思います。

三浦梅園先生顕彰会会長

小串信正

おぐし・のぶまさ

昭和23年に大分県で生まれる。地元の大分上野丘高校卒、東京学芸大学卒。都内にて私塾を経営しながら、郷土の偉人・三浦梅園の研究を続ける。同55年に地元国東町の実家に戻り、「三浦梅園研究会」を、平成25年「三浦梅園先生顕彰会」を発足させ、本格的な研究・顕彰活動に取り組み現在に至る。梅園学会委員としても「梅園学会報」に多数の論文を寄稿。令和3年に『三浦梅園の和合の哲学=神佛習合と三浦哲学=』を著した。これまで多くの小冊子を刊行してきた。