2023年1月号
特集
げずばやまじ
インタビュー③
  • 鹿児島県薩摩川内市下甑手打診療所所長齋藤 学

僻地で闘える医師を
育成する

僻地医療への挑戦

離島の医師として日々島民の診療に従事しながら、会社の社長として僻地医療の仕組みづくりに奔走している医師がいる。齋藤 学氏、48歳。氏が僻地医療にこだわる理由とは、僻地医療が抱える現状とは。氏の七転八起の歩みと共に赤裸々に語っていただいた。

この記事は約12分でお読みいただけます

医師が代わっても、同じ質の医療を提供する

——齋藤先生は離島をはじめとしたへきでの医療体制の強化に力を入れていると伺いました。

ええ。現在大きく二つの軸で活動しておりまして、一つ目が僻地で闘える医師の育成を目的とした合同会社ゲネプロの代表として、仕組みづくりに力を入れています。もう一つが鹿児島県西南に位置する離島・こしきじまにある手打てうち診療所の所長としての活動です。
ドラマや映画化で人気の漫画『Dr.コトー診療所』の主人公のモデルが、ここ手打診療所の所長を約40年勤めた瀬戸上せとうえ健二郎先生なんです。僕は2020年から3代目の所長を勤めています。

——二足の草鞋わらじを履かれているのですね。

どちらも根本は同じで、どんな場所でも同じ質の医療を提供することが長期ビジョンです。僻地医療では外科、皮膚科、内科、眼科、産婦人科と一人何役もこなす総合診療が求められます。瀬戸上先生はまさにスーパードクターという言葉が相応ふさわしい方で、島に住み続けながら39年間一人で島民の健康を守り続けてくださいました。2017年に退職されたのですが、それで島の医療の質が落ちてしまうようではいけません。たとえ医師が代わっても、同じ質の医療を提供し続ける環境を整えることが、島にとっても島に赴任してくる医師のハードルを下げるためにも不可欠だと思っています。

——常に同じ質の医療を提供し続けるとは大事な視点ですね。

誰もが瀬戸上先生のようになれるわけではありませんからね。医者の中には患者のために自己犠牲をいとわない人も多いですが、それでは長続きできません。
僕自身、離島での医療に携わるようになって改めて気づかされたことですが、医療というのは一人ではなくチームで行うものです。甑島には医者は3名しかいませんが、緊急時にはドクターヘリが本土から駆けつけてくれますし、日常的な疑問や不安もLINEや電話ですぐに助けてくれる仲間が海を隔てて大勢います。そう考えられるようになると、単に医師不足を嘆かず、現状でもできることが多々あることに気づけるはずです。
僕は手打診療所の所長の任は3年間だと期限を定めています。今年度が最後の年なのですが、僕がいなくなっても同じ質の医療を提供し続けられるよう、また他の医師が島に来やすいよう、これまで薬剤師を外から呼んできて調剤薬局をつくったり、デイサービスの管理者を呼びつぶれそうだった老人ホームの立て直しを図ったりと、少しずつ環境を改善してきました。

鹿児島県薩摩川内市下甑手打診療所所長

齋藤 学

さいとう・まなぶ

昭和49年千葉県生まれ。平成12年順天堂大学医学部を卒業後、故郷の国保旭中央病院に3年間勤務。その後、井上徹英医師の下で働くため、浦添総合病院(沖縄県)で救命救急センターの立ち上げに携わり、後に同センター長に。フライトドクターとして離島に出向く度に離島医療の過酷さを痛感し、21年に半年間、徳之島(鹿児島県の離島)で離島医療の現場に挑む。その後、僻地医療を支援する仕組みの必要性を痛感し、26年合同会社ゲネプロを設立。29年に「日本版離島・へき地医療プログラム」を開始。令和2年より薩摩川内市下甑手打診療所(鹿児島県の離島)所長。著書に『へき地医療をめぐる旅』(三輪書店)がある。