離島の医師として日々島民の診療に従事しながら、会社の社長として僻地医療の仕組みづくりに奔走している医師がいる。齋藤 学氏、48歳。氏が僻地医療にこだわる理由とは、僻地医療が抱える現状とは。氏の七転八起の歩みと共に赤裸々に語っていただいた。
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鹿児島県薩摩川内市下甑手打診療所所長
齋藤 学
さいとう・まなぶ
昭和49年千葉県生まれ。平成12年順天堂大学医学部を卒業後、故郷の国保旭中央病院に3年間勤務。その後、井上徹英医師の下で働くため、浦添総合病院(沖縄県)で救命救急センターの立ち上げに携わり、後に同センター長に。フライトドクターとして離島に出向く度に離島医療の過酷さを痛感し、21年に半年間、徳之島(鹿児島県の離島)で離島医療の現場に挑む。その後、僻地医療を支援する仕組みの必要性を痛感し、26年合同会社ゲネプロを設立。29年に「日本版離島・へき地医療プログラム」を開始。令和2年より薩摩川内市下甑手打診療所(鹿児島県の離島)所長。著書に『へき地医療をめぐる旅』(三輪書店)がある。