2019年7月号
特集
命は吾より作す
  • 明治大学学長土屋恵一郎
初心忘るべからず

能の大成者・世阿弥の
言葉に学ぶ

約600年前の室町時代に能を大成したといわれる世阿弥。その著者である『風姿花伝』や『花鏡』に遺された言葉や教えは、いまなお多くの人々の心を捉え、仕事や人生を発展させるヒントに溢れている。30年以上にわたって能に向き合ってきた明治大学学長の土屋恵一郎氏に、世阿弥の言葉を紐解きながらその知られざる一面と創造性の根源を語っていただいた。

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能楽師・観世寿夫の謡に衝撃を受ける

私は大学では法哲学を専門に教えていますが、能の世界にも30年以上関わってきました。能に引き込まれるきっかけとなったのは1972年、25歳の時に能楽師・観世寿夫かんぜひさおさんの舞台を見たことでした。それまで日本の伝統芸能では歌舞伎に関心があり、能はあまり見たことがなかったのですが、その時に聴いた観世寿夫さんのうたいに、電流が走るような大きな衝撃を受けたのです。

観世寿夫さんの謡は明快に節が立った、まるで音が一つひとつのリズムとして聞こえてくる音楽のようで、これまで自分が持っていた謡の固定観念を完全に壊されました。謡にパバロッティやマリオ・デル・モナコといった世界的なオペラ歌手にも匹敵するような音楽性があるとは思ってもみなかった。いまでも、観世寿夫さんの声は聴けばすぐに分かります。

しかし、観世寿夫さんは1978年に53歳の若さで亡くなってしまいます。そこで私は、自分が観世寿夫さんに受けた衝撃を同世代や若い世代にも伝えたい。クラシック音楽が好きな人、ジャズが好きな人、これまで能を知らなかった様々な人たちがまったく新しい形で能と出逢い、楽しめる場をつくりたいと思い、仲間と一緒に「橋の会」という能楽上演団体を立ち上げ、能の公演を企画する〝プロデューサー〟としての活動を始めたのです。ですから私と能の関係は、研究者でも愛好家でもない少し変わったものだと言えます。

能楽師や囃子方はやしかたにご協力いただき、私が最初に能楽堂以外の場所で能をプロデュースしたのは、建築家・伊藤豊雄さんがつくった東京六本木の「ノマド」というカフェでした。結果、あっという間に切符は完売して大好評。それから「橋の会」では24年間、私は様々な場所で能の公演を企画し、多くの方にご来場いただきました。

明治大学学長

土屋恵一郎

つちや・けいいちろう

昭和21年東京都生まれ。明治大学法学部卒業、同大学院法学研究科博士課程単位修得退学。法哲学を専攻する傍ら、能を中心とした演劇研究・上演の「橋の会」を立ち上げ、身体論、特に能楽・ダンスについての評論活動に取り組む。平成2年『能―現在の芸術のために』(岩波現代文庫)で芸術選奨新人賞受賞。芸術選奨選考委員(古典芸能部門)、芸術祭審査委員(演劇部門)を歴任。北京大学日本文化研究所顧問。『世阿弥の言葉―心の糧、創造の糧』(岩波現代文庫)『能、ドラマが立ち現れるとき』(角川選書)など著書多数。