2025年8月号
特集
日用心法
対談
  • 東洋大学元教授高山静子
  • 文教大学教授成田奈緒子

言葉の質と量が
子供の明るい未来を
つくる

我が子の幸せな人生を願わない親はいない。しかし、現在の日本では親と子を巡る悲惨な事件や教育現場での不祥事が後を絶たない。どうすれば子供たちの明るい未来をつくることができるのか――。長年、子供の教育のあり方、親子が抱える問題に向き合ってきた東洋大学元教授の高山静子さんと小児科医で文教大学教授の成田奈緒子さんに、具体的な子育ての実践を交えて語り合っていただく。

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    子育ての問題・課題に向き合い続けてきた2人

    高山 成田先生、初めまして。先生のご著書はかねて拝読しておりまして、きょうはお目にかかれることを楽しみにしていました。

    成田 こちらこそお会いできることを楽しみにしていました。私も高山先生のご著書はとても興味深く読ませていただいています。

    高山 ただ、お互い初対面ですからまず簡単な自己紹介を……。
    私はもともと教育とは関係ない仕事をしていたのですが、自分の子育てをきっかけに保育士の資格を取り、保育園に転職したんです。その後、地域の子育て支援などにたずさわり、40歳を過ぎて大学院に入りまして、そのまま教員として大学に16年間勤めました。
    そして今年(2025年)定年まで2年を残して早期退職し、いまは主に保育園の園長先生、保育士の団体などを対象とした研修に力を入れています。まあ、非常に変わった経歴なんですよ(笑)。

    成田 私はもともと小児科医なのですが、研究者になりたいという思いが強くなってアメリカの大学に留学し、遺伝子かいせきやiPS細胞のもとになっているES細胞の研究に携わりました。帰国後は獨協どっきょう医科大学に勤めたのですが、そこの外来で精神的な問題を抱える子供たちに接したことで、筑波大学に移り、子供の精神疾患の研究に取り組むようになりました。
    すると、子供の問題は家庭環境や学校教育のあり方と関連していることが見えてきまして、教育や福祉についてもっと知らなければと、教育関係のポストを探していたところ、いま勤める文教大学が受け入れてくださったんです。
    そして研究を通じて児童相談所や発達障害者支援センターなどと関わっていく中で、思いを同じくする心理士や社会福祉士の方と出会い、親御さんの子育て支援事業「子育て科学アクシス」を2014年に立ち上げました。おかげさまで昨年(2024年)10周年を迎えました。

    高山 10周年。素晴らしいです。

    成田 なぜアクシスを始めたかというと、後で詳しく触れますけれども、やっぱり親御さん、家庭環境を変えなければ、子供たちが抱える問題もなかなか解決していかないからですね。ですから、私たちは「親御さんが変われば子供たちも変わる」と言っています。

    高山 おっしゃる通りですね。私がいま取り組んでいる研修活動も、まさに親御さんの子育てをしっかり支援できる保育者を育てたい、という思いが強くあるんです。
    というのは、いま我が子をどのように育てればよいのか悩んでいる親御さんがどんどん増えていると同時に、仕事などの都合でゼロ歳から子供を保育園に預けるご家庭も増えているんですよ。ですから、お子さんを預けに来られる親御さんに対して、保育士さんがきちんとした育児のモデルを示してあげたり、相談に乗ってあげたりできれば、日本の子育ての状況も全然違ってくるはずなんです。
    ところが、園児への虐待など保育園での「不適切保育」がよくニュースになっているように、保育士も子供とどう関わっていいのか分からないんですね。ニュースになっていないだけで、あちこちの市町村で不適切保育、あるいは保育士の離職が問題になっている。これが日本の保育の現状です。

    成田 ニュースで取り上げられるのは、本当にごく一部ですね。

    高山 なぜそうなっているかというと、保育士の養成課程に子供との関わり方について専門的に勉強する科目がないからですよ。その背景には、日本では保育士は親の代わりのようなもので、誰でもできる簡単な仕事だから専門性は必要ないという誤解があります。
    でも実際は、同時にたくさんの子供と関わりながら、それぞれの個性や才能を伸ばしていく保育士の仕事はものすごく大変ですし、高い専門性が求められるんです。

    成田 おっしゃる通りですね。

    高山 専門職として確固たる知識や技術も自信もないまま、日々多くの子供たちと向き合い続けなければいけない。しかもお給料は高くないし、ちょっとしたことで親御さんから怒鳴られたり、クレームを受けたりする。そのような状況では不適切保育や保育士の離職が増えていくのは当然ですし、子育ての悩みを抱えた親御さんに適切な支援もできないでしょう。
    それを何とか解決したいと、私の研修では、様々な専門書を皆で読み合い、保育について話し合い、専門性を高めていくプログラムを実施しているんですね。この研修を全国に広げていくことで、日本の保育者の専門性を底上げし、子育て全体を変えていきたいと思っています。

    成田 私も保育士を養成する学科の授業を持っているのですが、確かに子供との関わり方を専門に学ぶ内容はありませんね。ただそれではいけないと思って、私の授業では、心理学や脳科学などの専門知識を交えて、大人は子供とどう関わればいいのか、できる限り伝えることを心掛けています。

    東洋大学元教授

    高山静子

    たかやま・しずこ

    昭和37年静岡県生まれ。自身の出産・子育てを機に保育士の資格を取得し、保育園に勤める。その後、地域の子育て支援に携わり、九州大学大学院に進学。平成25年4月より東洋大学ライフデザイン学研究科教授。令和7年退職、主に現在は保育者向けの研修活動に尽力。著書に『0~6歳 脳を育む親子の「会話」レシピ』(風鳴舎)など多数。訳書に『3000万語の格差―赤ちゃんの脳をつくる、親と保育者の話しかけ』(明石書店)がある。

    人生を変えた1冊ルソーの『エミール』

    高山 私が保育、教育の道に転じたそもそものきっかけは、いまお話ししたような日本の保育のあり方に疑問を覚えたことでした。
    出産後間もなく、子供を近くの保育園に預けて働き始めたのですが、そこの保育士が子供を怒鳴ったり、叩いたりするんですね。

    成田 ああ、子供に暴力を。

    高山 当時しつけで子供に手を出すのは珍しいことではなかったんですけれども、私には疑問でした。
    というのは、妊娠中、古本屋で18世紀フランスの思想家、ジャン=ジャック・ルソーの『エミール』が目に留まり、読んでみたところ、すごく感動しましてね。
    教育について考察した『エミール』には、「大人は、子供の未来のために子供時代を犠牲にさせるような教育をするんじゃない」「感覚と身体が知性の原点だ」など、現代の子育てにも通じる内容がたくさん書かれていて、衝撃でした。まるで「子供たちを幸福にするんだ!」というルソーの叫び声が聞こえてくるようでした。
    感動のあまり本をじる糸がり切れてボロボロ、バラバラになるまで何度も読み返しました。
    それから教育に目覚めてしまって、教育に関する本をいろいろ読むようになったのですが、いまだに『エミール』の感動を越えるほどの本には出合っていません。

    成田 『エミール』が、高山先生の人生を変える1冊になった。

    高山 ええ。そういう体験があったので、子供の保育園の状況を見た時、自分のほうがまだましだろうという気持ちで、保育士の資格を取って保育園に転職したんです。

    成田 ただ、実際の保育現場は大変なことも多かったのではないですか。

    高山 ルソーの『エミール』の考えに近い教育をしている保育園を探して就職したのですが、外からこうしたらいい、ああしたらいいと言うのと、自分で子供たちに向き合うのとでは大違いでした。
    先ほどお伝えしたように、同時にたくさんの子供たちを見る集団保育は、家庭の子育てとはまったく違いましたし、高い専門性が必要な仕事であることを痛感させられました。にもかかわらず、保育士も幼稚園教諭も、集団の保育に必要な技術を教えられることもなく資格や免許を取得しています。
    しかも日本の保育現場は、幼児は30人以上の子供を1人で、1歳は6人を一人で見ますからまさに戦場です。保育室の狭さも、クラス規模の大きさも世界の中では最低レベルで、その構造の質の悪さは現在もほとんど変わっていません。

    成田 現場の中で日本の保育の問題を実感していったのですね。

    高山 その中で転機になったのは、『エミール』の教育理念を保育園で実践しながら、様々な分野の研究者と対等に対談するなど、現場経験と専門性を兼ね備えた斎藤公子きみこ先生と出会ったことでした。
    斎藤先生に影響を受けた私は、「日本で斎藤先生の2番目に本を読む保育士になろう!」と決意して、保育に関係する心理学や脳科学など月に30冊本を読み、その学びを現場で実践、試行錯誤する日々を送るようになりました。
    ただ、いくら素晴らしい保育者が現場にいても、自分でどんなにたくさん本を読んで専門性を高めても、それを言語化しなければ養成にも研修にも使えず、全国の保育の質を高めることは難しいことに気づきました。保育者の養成では、保育とは関連の薄い研究者によって家庭の養育方法が教えられていることも問題だと感じました。
    であれば、優れた保育を実践している方や専門家の方の理論や技術を本に分かりやすくまとめて世に広めていこうと、現場を離れて研究者の道に転じたわけです。
    これまで『保育者の関わりの理論と実践』『子どもの把握と理解』など、保育者が持つ実践知を言語化・理論化する研究に取り組み、専門性を高める養成や研修の研究を続けています。

    文教大学教授

    成田奈緒子

    なりた・なおこ

    昭和38年宮城県生まれ。神戸大学医学部卒業、医学博士。米国セントルイス・ワシントン大学医学部、獨協医科大学、筑波大学基礎医学系を経て、平成17年より文教大学教育学部特別支援教育専修准教授、21年より同教授。26年子育て支援事業「子育て科学アクシス」を設立、代表に就任。著書に『誤解だらけの子育て』(扶桑社新書)、共著に『その「一言」が子どもの脳をダメにする』(SB新書)『山中教授、同級生の小児脳科学者と子育てを語る』(講談社)など多数。