2021年3月号
特集
名作に心を洗う
  • 「母と子の美しい言葉の教育」推進協会会長土屋秀宇

名作が子供の心を育てる

小中高生に薦めた古今の名著

現役の教師時代から一貫して子供たちに本物の日本語やその素晴らしさを伝えてきた土屋秀宇氏は、「名作を読むことによって、子供たちの豊かな情緒が育まれる」と強調する。それぞれの年齢でどのような名作を読むべきなのか。長年の経験に基づいてお話しいただく(本文は、土屋氏のご意向により歴史的仮名遣いを用いています)。

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父の書斎で読んだ文学全集

戦後、元号法制化のために命懸けの運動を展開し、歌人としても知られた影山正治大人うしは次のやうな辞世の歌を残してゐます。
民族のもとついのちのふるさとへ
はやはやかへれ戦後日本よ
2020年と2021年の元旦、影山大人のこの歌が私の心にふと浮かんできました。本職は英語教師でありながら正しい日本語を取り戻すことをライフワークとし、それだけを願つて歩んできた今日までの自身の半生と、国体護持に人生を捧げた大人の辞世に相通じるものを感じてゐたのでせう。

我が国の国語教育は、戦後の国語改革によつて悪い方向へと大きくかじを切りました。昭和22年、学習指導要領(国語科編)に、
「これからの国語教育は古典の教育から解放されなければならない」

といふ一文が挿入されたことは、その象徴ともいへる出来事でした。以来、平成23年、学習指導要領に伝統的言語文化の重視が盛り込まれるまでの実に60年以上にわたり、子供たちは父祖から受け継いできた優れた古典文化に触れる機会を奪はれてきました。

文科省はこの間、知育偏重といふ掛け声のもとに、各教科のみならず、あつてはならぬ国語の授業数をも削減したのです。私は「古典を苦役くえきと位置づけ、国語をできるだけ教へまいとする努力の歴史だつた」と皮肉を込めて言つてゐますが、古典によつてはぐくまれる子供たちの情感、知的好奇心を根こそぎにしてきたわけです。

私は千葉県の小中学校の教育現場で、蟷螂とうろうおのとは知りつつも、さういふ時代の風潮にあらがひ、40年近くにわたつて子供たちが古今の名作に触れることのできる場を提供してきました。退職後も、幼児や小学生への日本語の指導に当たつてゐます。初めて触れる美しい文語の名詩、名文は子供たちの心をとらへ、豊かな感性を養ひ、それは確実に後々の人生を支へる力となつてゐるのを感じます。

私が日本語教育に深く関はるやうになつた背景には、幼少期から青年期にかけての読書体験があります。

両親は共に師範学校を出た厳格な教師でした。父の書斎にはお伽噺ときばなし絵本や『日本文学全集』『世界文学全集』などに加へて、戦前の『小學國語読本』などがずらりと並んでゐました。幸ひ多くは総ルビで子供にも読むことができましたから、私もいつしか本に親しむやうになつていつたのです。

父が結核で亡くなつたのは、私の大学合格の直後のことです。書斎を整理してゐると国定教科書の間にペンで「千葉師範修養七則」(自戒)としたためられた一枚の紙片を見つけました。卒業後も自らを厳しく戒めることが父の指針だつたと知つた瞬間、私は父の〝師魂しこん〟を受け継ぐ教育者として生きることを決意しました。

若い頃に読んだ阿部次郎の『秋窓記』に「結紐けっちゅう」といふ言葉が出てきます。
今の教育に教師と学生との心をつなぐ結紐はあるか。教師の側に本当に学生の一生のことを思ふ「愛」があるか。学生の側に本当に教師から学びとらうとする「敬虔けいけん」があるか。
教へる側の命を懸けるほどの深い愛情、学ぶ側の心から師を尊敬する心、この2つが1つに結び合つてこそ真の教育であるといふのです。この「結紐」もまた「自戒」と共に、私の教育者としての生き方を決めた言葉といつてよいでせう。

私の国語教育に対する意識を目覚めさせてくれた本といへば、戦後国語改革の問題点を厳しく批判し、歴史的仮名遣ひの意義などを解説された福田恆存つねあり先生の『私の國語教室』です。私はこの本を通じて福田先生に親しくご指導いただくご縁に恵まれ、先生との邂逅かいこうは私の人生を決定づけました。

「母と子の美しい言葉の教育」推進協会会長

土屋秀宇

つちや・ひでお

昭和17年千葉県生まれ。千葉大学教育学部卒業後、県内で中学校英語教師を務める。13年間にわたり小中学校の校長を歴任し、平成15年定年退職。その後、日本漢字教育振興協會理事長、漢字文化振興協会理事、國語問題協議會評議員などを務める。自身でも「漢字楽習の会」を主宰、教師塾「まほろばの会」顧問として活動。この度一般社団法人「母と子の美しい言葉の教育」推進協会を立ち上げる。