2021年5月号
特集
命いっぱいに
生きる
  • アクシスエボリューション代表田中伸一

ダウン症の息子に
導かれた我が人生

ダウン症の長男・彰悟さんの誕生をきっかけに、それまでの「人生の幸せ=仕事での成果・出世・お金」という人生観、仕事観が180度変わったという田中伸一氏。いまプロコーチ・人材育成コンサルタントとして活躍しつつ、ダウン症の彰悟さんから得た気づきや学びを人々に伝えている田中氏が語った、命いっぱい自分らしく、幸せに生きるヒント。

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ダウン症――突然の宣告

大学卒業後の1992年、地元の福岡銀行に入行した私は翌年に妻と結婚。まもなく第一子となる長女にも恵まれ、仕事も家庭も充実した日々を送っていました。

しかし1996年、長男・彰悟しょうごの誕生をきっかけに、私の人生は大きく変わっていくことになります。息子が生まれた時のことはいまでも忘れられません。知らせを受けて駆けつけると、医師から呼ばれ、「出産したばかりのお母さんにはまだ伝えられませんが、息子さんには〝ダウン症〟の可能性があります」「検査には1か月かかります」と告げられたのです。

あまりに突然のことで、息子の誕生という幸福感に包まれていた私の心は一変。この子は普通に生活できるのだろうか? 学校に通えるのだろうか? 友達はできるのだろうか? 就職して働くことはできるのだろうか? 恋愛や結婚はできるのだろうか? と不安でいっぱいになりました。しかも2日後に血液の異常が見つかったことで息子は総合病院に移り、里帰り出産の妻も退院後は自分の実家で静養していたため、家族はバラバラに過ごすことになりました。

休日の度に病院まで息子に会いに行くのですが、輸血や点滴のチューブにつながれ、保育器に入れられている姿を離れたところから見ることしかできません。生まれたばかりの息子の顔を近くで見ることも、抱いてあげることすらできない。親としてこれほどつらいことはありませんでした。

ダウン症の可能性がある――その事実を妻にも親にも伝えることができず、私は検査結果が出るまでの1か月、ダウン症に関する本を読んでは、まずダウン症でないこと、たとえダウン症であったとしても障がいの程度が軽くあってほしいと、まさに祈るような思いで日々を過ごしました。

アクシスエボリューション代表

田中伸一

たなか・しんいち

昭和45年福岡県生まれ。大学卒業後、平成4年福岡銀行に入行。14年新日本製薬に転職、総合管理部長として組織改革に当たり、子会社の社長を務める。20年プロコーチ・人材育成コンサルタントとして独立し、アクシスエボリューションを設立。