2021年5月号
特集
命いっぱいに
生きる
  • 作家神渡良平

教え子みな吾が師なり

徳永康起 その魂の教育に学ぶ

様々な家庭環境に翻弄される教え子たちに温かい眼差しを向け、人生の伴走者として魂の交流を重ね続けた徳永康起先生。この度、その貴重な評伝『人を育てる道』を致知出版社より上梓した作家の神渡良平氏に、子供たちの命を精いっぱい輝かせた教師から学ぶものを伺った(写真:校庭の芝生で読書をする徳永先生)。

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教え子から慕われ続けた希有なる教育者

こんな素晴らしい先生がいたのか!

伝説の教師・徳永康起やすき先生の人生を辿たどり、深い感動に包まれた私は、この度致知出版社より『人を育てる道』を上梓じょうししました。

徳永先生のことは、『致知』でもお馴染なじみの教育者・森信三先生から「超凡破格ちょうぼんはかくの教育者」と絶賛された人物として、他の著書でも触れたことがありました。

しかし、2年前に教え子の一人である植山洋一さんとご縁をいただいて取材を重ねるうちに、徳永康起という人物のうわつらしか理解していなかったことを痛感。知れば知るほどこの人物の底知れない魅力のとりこになりました。

本書を、掃除を通じて青少年の教育にも尽力されてきたイエローハット創業者の鍵山秀三郎かぎやまひでさぶろう先生にお贈りしたところ、「今度の本は教師たち、中でも授業や学級経営がうまくいかず、人知れず悩んでいらっしゃる先生方に具体的なヒントを与えるでしょう」とのお便りをたまわり、とても嬉しく思いました。

教育者として命いっぱいに生きた徳永先生の魅力は、その教え子たちとのエピソードからうかがえます。

先生が熊本県の県境の分校に勤めていた頃、運動場で馬乗りになって相手を殴ろうとしていた少年がいました。徳永先生が慌てて止めに入り、引き離したその少年は、皆から〝炭焼きの子〟と揶揄やゆされていた柴藤清次しばとうせいじ君でした。

柴藤君の家は貧しく、家計を支えるために隣の宮崎県まで木炭を馬に積んで運搬しているため、ろくに学校に来ることができませんでした。そのため成績が悪く、皆から馬鹿にされ、仲間はずれにされていたので、日頃の鬱屈うっくつが爆発して喧嘩けんかに至ったのです。

徳永先生は泣きじゃくる柴藤君をなだめて言いました。

「おい、清次君。今夜宿直室に来い。親代わりに俺が抱いて寝よう」

それまで担任からも無視され続けてきた柴藤君は、徳永先生が自分を「君」をつけて一人前の人間として扱い、慈愛の心で包み込んでくれたことに驚きました。それ以来、柴藤君はすっかり明るくなって成績も上がり、皆に溶け込めるようになりました。

柴藤君はその後応召し、終戦後にシベリア抑留のき目に遭いましたが、絶望していた戦友たちを懸命に励まし、世話に走り回り、無事生き延びました。佐賀県伊万里いまり市に復員した後、就職した自動車学校では優良教官として表彰され、よき伴侶にも恵まれて家庭を構えました。一方、警察からどうしようもないワルとして見捨てられていた不良少年たちを自宅に引き取って面倒を見ました。その心の内には、「自分ですら立ち直ることができた」という思い。そして、「炭焼きの子!」と馬鹿にされていた自分を導いてくれた徳永先生への報恩の念があったのです。

そうした柴藤さんの善行を伊万里市青少年問題協議会が表彰し、それがきっかけで恩師・徳永先生を探している柴藤さんの投書が新聞に載り、実に32年ぶりの対面が実現したのでした。

作家

神渡良平

かみわたり・りょうへい

昭和23年鹿児島県生まれ。九州大学医学部中退後、新聞記者や雑誌記者を経て独立。38歳の時脳梗塞で倒れリハビリで再起。闘病中に書いた『安岡正篤の世界』(同文舘出版)がベストセラーに。現在では執筆の他、全国で講演活動を展開。著書に『安岡正篤 立命への道』『下坐に生きる』『人を育てる道 伝説の教師 徳永康起の生き方』(いずれも致知出版社)など。