2018年9月号
特集
内発力
  • 文芸批評家、都留文科大学教授新保祐司

明治人の気骨が
教えるもの

明治維新150周年の今年(2018)、明治という時代に改めて注目が集まっている。明治の文化に造詣が深い文芸批評家の新保祐司氏は、内発力に溢れた明治精神に再び光を当てることこそが、混迷の時代に新たな活路をひらく鍵だと説く。

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明治精神への関心の高まり

私が文芸批評に関心を寄せるようになったのは、高校生の頃、小林秀雄の『モオツァルト』にそれまで味わったことのない言葉の世界を感じたことがきっかけでした。小林の弟子筋に当たる中村光夫の『二葉亭四迷ふたばていしめい論』『明治文学史』を読み、近代小説の世界に触れる中で、次第に明治という時代に魅了されるようになったのです。
 
当時、文芸批評家になるには東大仏文科に進むのが相場とされ、私もその道を選びましたが、フランス文学にはさして興味を見出せず、近代文学の先駆ともいえる北村透谷とうこく国木田くにきだ独歩どっぽ、岩野泡鳴ほうめい、齋藤緑雨りょくう、島崎藤村とうそんなど明治の文学者ばかりを好んで研究する毎日でした。
 
ちまたでは村上春樹、村上龍の両村上が脚光を浴びる中、私はどうしてもそういう時代の空気に馴染むことができず、その反発もあってか、透谷の言葉や独歩の詩歌の世界に一層のめり込んでいったのです。
 
時代の空気を吸って人間は成長すると言う人もいますが、一切流行に走ることをせず、100年前の文学ばかりを追いかけているわけですから、周囲にはさぞかし風変わりな時代錯誤の若者に映っていたに違いありません。昭和45年に三島由紀夫が自決して以来、日本はつまらない国になってしまったと考えていた私には、現代の価値観に軸足を置いて社会や物事を見ていくという発想がそもそもありませんでした。
 
いま思い返すと、漠然としたイメージながら明治という時代に思いをせるようになったのは、幼少の頃でした。私の祖父は戦前、北海道の江差えざしで新保商店という雑貨屋を営んでいました。ニシンが不漁になると中国大陸に渡り、商社を経営するようになります。しかし、シナ事変以降、経営はかんばしくなくなり、敗戦直前の昭和20年6月、63歳の時に大陸で亡くなります。
 
戦後生まれの私は、もちろん祖父と会ったことはありませんが、困窮の中でたくましく生きた〝失敗者〟の生涯は、なぜか子供の頃から強く印象に残っていました。私が明治に憧憬しょうけいを抱くようになったのには、そのような背景があったようにも思います。
 
ところで、明治維新150年の今年(2018年)、改めて明治という時代に注目が集まっています。シンポジウムや展覧会など各地で様々な催しが開かれ、明治天皇のご生誕日である11月3日を「明治の日」にしようという動きも出てきています。
 
明治について長年研究してきた私も、このところ明治精神について講演する機会が増え、明治精神の偉大さが改めて見直されていることを肌で感じています。若い頃から時代に乗り遅れているように言われてきた私ですが、少し生意気な言い方をさせていただければ、30年経ってようやく時代が私の考えに追いついてきたような感触を得ているのです。

文芸批評家、都留文科大学教授

新保祐司

しんぽ・ゆうじ

昭和28年宮城県生まれ。東京大学文学部卒業。『内村鑑三』(文藝春秋)で新世代の文芸批評家として注目される。文学だけでなく音楽など幅広い批評活動を展開。平成29年度第33回正論大賞を受賞。著書に『明治頌歌︱言葉による交響曲』(展転社) 『明治の光 内村鑑三』『「海道東征」とは何か』(ともに藤原書店)など多数。