2021年8月号
特集
積み重ね 積み重ねても また積み重ね
  • 日本建築積算協会元副会長内藤多四郎
積み重ね歩いた84年

父・内藤多仲の生き方

名古屋テレビ塔、大阪通天閣(2代目)、東京タワー。各地で名物として親しまれるこれらの構造設計を一手に引き受けたのが、「日本の耐震建築の父」「塔博士」の異名を取る建築家・内藤多仲その人である。自らも同じ建築の道へ進んだ次男の内藤多四郎氏に、家庭での知られざる素顔を交え、多仲博士の足跡を辿っていただく(竣工間近の東京タワー建設現場にて ©朝日新聞社/時事通信フォト)。

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言動に信念が籠っていた

父・内藤多仲たちゅうが84歳で亡くなって、50年の月日が流れました。1932年に次男として生まれた私も2022年卒寿そつじゅとなり、いつの間にか父の年齢を越えていることに気づいて驚いています。

1954年に完成した名古屋テレビ塔、56年の大阪通天閣つうてんかく(2代目)、そして58年の東京タワー。父は建築家として、強い使命感の下に、これらの天高くそびえる鉄塔の設計を担いました。頻繁ひんぱんに地震や台風に襲われるこの国で、その多くが、完成から60年以上が経ったいまなお各地で親しまれています。父が教鞭きょうべんる早稲田大学で建築を学び、同じ設計の道へ進んだ身としても、圧倒される思いです。

遠い記憶の中にある父の姿を思い起こすと、とかく「細かい」人だったという印象があります。何に細かいかと言うと、建築についてはもちろん、使う言葉や出逢う人々など、すべてについてです。

例えば、父は書いた論文をよく私に見せて、「これはこういう経験があってこう書いたんだよ」とか「あの人がいたから、その力を借りてこれが書けたんだよ」と語りました。一見何でもないような言動でも、よくよく考えると理由があり、一つひとつに信念や実感がこもっている。そういう人でした。

また、どんなに忙しい時でも、自ら設計した建築の現場には必ず顔を出していましたし、過去に恩を受けた人のことは決して忘れず、とても大切にしていました。

「『積み重ね積み重ねてもまた積み重ね』が私の人生行路だった」

父は晩年、自分の生涯についてこう述懐じゅっかいしています。その生き方を振り返ると、まさに努力の積み重ねの人生だったとうなずかされます。

日本建築積算協会元副会長

内藤多四郎

ないとう・たしろう

昭和7年東京生まれ。33年早稲田大学理工学大学院修士課程修了、日建設計入社。62年同社取締役・東京技術センター所長。日建アクト・デザイン社長、東西建築サービス社長を経て、平成7年より12年間、日本建築積算協会副会長を務める。