2019年10月号
特集
情熱にまさる能力なし
  • 写真家藤森 武

画仙・熊谷守一の生き方が
教えるもの

地位も名誉も欲さず、ただひたすら自らの求める独自の美学を貫き通し、「画壇の仙人」と称された画家・熊谷守一。その最晩年の貴重な姿を撮り続けたのが写真家の藤森 武氏である。藤森氏に豊富な逸話を交えながら、熊谷守一の生き方が教えるものを語っていただいた(写真:奥様と囲碁を打つ晩年の熊谷守一〈写真提供=藤森武〉)。

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出逢った瞬間からその人柄の虜になった

画家・熊谷守一くまがいもりかず先生との出逢いは本当に偶然でした。昭和49年の夏のある日、小説家・武者小路実篤むしゃのこうじさねあつの娘婿で、友人の武者小路侃三郎かんざぶろうさんに「いまから熊谷守一さんのご自宅に行くけど、一緒に行かないか」と誘われたのです。

熊谷守一という名前は知っていたものの、どこか遠い田舎に住んでいる人なのだろうと考えていた私は、「急に言われてもそんな遠くまでいけない」と答えました。すると侃三郎さんは、「何言っているんだ。すぐそばだ」と言います。

驚いたことに、先生は当時私の事務所があった東京池袋に近い千早ちはやにお住まいだったのです。それを知って、こんな雑居ビルがいっぱい立ち並んでいる中で絵を描いているのかと、私の好奇心に灯がともったのでした。ただ、先生は大の写真嫌いだというので、カメラは持っていきませんでした。

そうしてご自宅で初めてお会いした時、先生は94歳、私は32歳。先生がパイプをくゆらせていたので私も煙草たばこを吸おうとすると、灰皿とマッチをすっと目の前に置いてくださいました。年は親子以上に離れていて、しかも初対面の人間になぜこんなに優しくしてくれるのだろう。そう思ってふと顔を見ると、それがものすごくいい顔だったのです。本当に目が澄んでいてひげもかっこいい、どう見ても普通の顔じゃない─。

お会いした瞬間から私は先生の顔、人柄のとりこになり、いままでいろんな人に会ってきたが、この人以上に素晴らしいポートレートを撮れる人は他にいない。何とかして先生の写真を撮りたいという強い欲望に駆られたのでした。

写真家

藤森 武

ふじもり・たけし

昭和17年東京都生まれ。東京写真短期大学(現・東京工芸大学)卒。在学中の37年写真家・土門拳に師事。42年凸版印刷写真部に入社、45年からフリーランス。著書に『独楽 熊谷守一の世界』(世界文化社)など多数。日本写真家協会会員。土門拳記念館理事・学芸員。今年9月22日~30日まで写真展「退き退き生きる 熊谷守一の世界」を都内で開催。