2022年12月号
特集
追悼・稲盛和夫
対談
  • FC今治オーナー(左)岡田武史
  • 侍ジャパントップチーム監督(右)栗山英樹

稲盛さんに教わった
人生で大切なこと

稲盛和夫氏の生き方・哲学を学んでいるのはビジネスパーソンだけに留まらない。スポーツ界もその一つである。稲盛氏の謦咳に接した岡田武史氏と、著作を通じて学ばれた栗山英樹氏のお二人に、稲盛哲学に学んだことを語り合っていただいた。その対話には、いま我われが学ぶべき、また後世に語り継ぐべき稲盛哲学の要諦が詰まっている。

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厳しくも愛情溢れた稲盛さんの面影を偲んで

岡田 ちょうど『致知』さんから今回の対談をお声がけいただいた日の夜に、偶然にも栗山さんと食事をすることになっていたので、何か不思議なご縁を感じます。

栗山 本当ですね。きょうは名経営者・稲盛和夫さんの追悼号での企画ということで、稲盛さんの薫陶を受けられた岡田さんから、ぜひいろいろなお話を伺えればと思っています。残念ながら私は直接お会いできておりませんので。

岡田 数年前から稲盛さんは体調が優れず、あまり表舞台に出られなくなったと伺っていましたが、ニュースで稲盛さんの訃報に接し、遂に来たか……という感じがしました。普段は意識していなくても、稲盛さんは太陽のような存在で常に万人を照らしてくださっていたのだと、亡くなった後に気づかせていただきました。

栗山 その通りですね。稲盛さんの教えや著書に学んだ人は経済界だけでなく、私たちスポーツ界をはじめ非常にたくさんいます。

岡田 いま分断の時代とか言われていますが、稲盛さんは派閥を一切つくらず、万人から慕われていました。どんな成功者でも好き嫌いや良し悪しで評価されたりしがちですが、僕は稲盛さんを悪く言う人に出会ったことがありません。

一代でグローバル企業を育て上げた一流経営者の中には、後継ぎをうまく決められずに苦労している方が多くいます。やはり創業者は人一倍情熱があり、努力をしているので、どうしても物足りなさを感じて任せ切れないのでしょう。ところが稲盛さんの場合、54歳の時にさっと会長に退かれ、若手経営者のための「盛友塾(後の盛和塾)」や第二電電(現・KDDI)の仕事に力を注がれていきました。ここが稲盛さんのな点であり、京セラの経営がいまもうまくいっている一因だと感じています。

栗山 僕はかねて稲盛さんにお会いしたいと思っていたのですが、思い始めた時が遅すぎました。監督をしていると毎日野球漬けなので盛和塾に入る余裕がなく、様々なご縁を通じて何とかアポイントを取ることができたのが2019年1月29日、いまでも覚えています。ところがその前日に稲盛さんが体調を崩されてしまい、結局、お目にかかることができないまま亡くなられてしまいました。

1月29日はせっかくなので京都まで行き、京セラ本社や稲盛ライブラリーに伺って、様々なお話を聞かせていただきました。お会いできなかったのは本当に残念ですが、僕にとってすごく大きな気づきを得た一日となりました。

気づいた時に行動しておかないと学べなくなってしまうのだという後悔と共に、「お前がグダグダしていたから、会えるチャンスがなくなってしまった。そんな姿勢だから試合でも勝てないんだ!」と、稲盛さんから強烈なメッセージを受け取ったような気がしています。

岡田 大きな気づきですね。稲盛さんは経営者の中でも特に中小企業の後継者たちを可愛がっておられました。僕も盛和塾に入塾させてもらっていたのですが、例会では稲盛さんが塾生たちの会社の財務諸表を細かく見て、経営指導をされるのです。「この事業は何をやっている」「車は何に乗っている」など細かく質問され、時には厳しく叱責もされました。一方で、その後のコンパでは叱った塾生のテーブルまで行って、笑顔でお酒を注いでおられる。

栗山 愛情を感じますね。

岡田 本当に、厳しくも愛情に溢れた方でした。盛和塾の活動など自分の得にならないようなことでも絶対に手を抜かず、全力を注がれていました。稲盛さんのような経営者はもう出てこないのではないかと感じています。

FC今治オーナー

岡田武史

おかだ・たけし

昭和31年大阪府生まれ。55年早稲田大学政治経済学部卒業後、古河電工入社。平成2年現役引退。9年監督として日本初のFIFAW杯本選出場を果たす。11年コンサドーレ札幌監督、15年横浜F・マリノス監督に就任。19年日本サッカー協会特任理事、同年9年ぶりに日本代表監督に就任。22年W杯南アフリカ大会でグループリーグを勝ち抜きベスト16に導く。26年FC今治オーナーに就任。著書に『岡田メソッド』(英治出版)、共著に『勝負哲学』(サンマーク出版)など。

「人間だからエゴがあってもいいんや」

岡田 僕は稲盛さんの携帯電話の番号を知っていて、さすがに僕から掛けることはなかったですが、稲盛さんからは何度か直接お電話をいただきました。ある朝、「いま僕はよいアイデアが浮かんだから、京都に来られないか」と電話がかかってきました。京都に飛んで行くと、京セラがスポンサーをしているサッカーチーム・京都サンガの社長就任を打診されました。

栗山 直接電話で依頼が。それはいつぐらいのことですか?

岡田 僕がコンサドーレ札幌の監督を辞めて解説者をしていた時だから2002年だと思います。稲盛さんは「朝4時からいい考えが浮かんだけど、君が寝ていると思っていままで我慢していたんだ」と。その時、まだ6時ですよ(笑)。

残念ながらタイミングが合わずにお断りをさせていただくことになったのですが、それ以前にも京都サンガの監督の話もお断りしており、「僕のオファーを2回も断るのは君だけだ」とさすがにムスッとされました。「じゃあ君が信用できる人を紹介しなさい」と言われ、僕と同い年で日本代表キャプテンを務めた加藤ひさしを紹介したら、「素晴らしい人を紹介してくれた」と喜ばれました。

ところが、1か月後に加藤から「稲盛さんってどういう人なんだ」と電話がかかってきたんです。聞くと、初めて会った時はニコニコとしていたが、その日稲盛さんから「あんたにいくら払っていると思っているんだー!」と激怒されたそうなんです。それで加藤に「いや当たり前だ。こうこうの側面だけで京セラという大企業の経営ができるわけがないだろ」という話をしたことを覚えています。

栗山 ああ、そんなことがあったのですか。

岡田 僕は最初、好々爺の稲盛さんと、激しく怒鳴られる稲盛さん、この両側面が矛盾しているような気がして、分からなかったんです。京セラの理念「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」も、表では綺麗事を掲げておいて、実際は売り上げのために強引に進めているのではないかとどこかしゃに構えていたのです。それである時、稲盛さん含めて10名ほどで会食する機会があり、恐る恐る直接お伺いしてみました。

すると、「いや、岡田君。人間なんだからエゴ、自我があってもいいんだ。でも、その自我を真我しんがが上回っていなきゃいけない」とおっしゃいました。「真我って何ですか?」と伺うと、「真実の我だ、つまり宇宙の法則だ」と。正直、その時はなんとなく分かる程度で、すぐにはら落ちはしませんでしたが、その後2014年からFC今治いまばりの経営に携わるようになって、少しずつ真意が分かり始めてきたような気がしています。

会社という組織は当然売り上げも利益も上げて成長しなければいけませんが、人知を超えた大いなる力に逆らってはいけない。我われの会社にとっては企業理念を越えてまで稼いで世界一になることが目的ではないので、このバランスをコントロールする尺度を持ちなさい、というのが稲盛さんの真意だと僕なりに解釈しています。この真我、宇宙の法則の学びは僕にとってとても大きかったですね。

それは一度に何かが大きく変わったというより、徐々に徐々にはら落ちし、稲盛さんの思いが理解できるようになっていった感覚です。

侍ジャパントップチーム監督

栗山英樹

くりやま・ひでき

昭和36年東京都生まれ。59年東京学芸大学卒業後、ヤクルトスワローズに入団。平成元年ゴールデン・グラブ賞受賞。翌年現役を引退し野球解説者として活動。16年白鷗大学助教授に就任。24年から北海道日本ハムファイターズ監督を務め、同年チームをリーグ優勝に導き、28年には日本一に導く。同年正力松太郎賞などを受賞。令和3年退任し、侍ジャパントップチーム監督に就任。著書に『栗山魂』(河出文庫)『育てる力』(宝島社)など。