2021年11月号
特集
努力にまさる天才なし
  • 関本クリニック院長関本 剛

人生という河を
最後まで泳ぎ抜く

がんになった緩和ケア医が語る人間の尊厳

緩和ケア医として、これまで1,000人以上もの患者を看取ってきた関本 剛氏は、2年前、自身の体もがんに侵されている事実を突きつけられた。重篤な病を抱えつつ、いまなお活動を続ける氏の心に去来するものは何か。人間の生と死を見つめてきた医師が至った境地を、自身を突き動かす思いを交えてお話しいただいた。

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「ごめん! ごめんな……本当にごめん!」

「……これ、本当に僕の写真ですか?」

モニターに映し出された胸のCT画像を見て、思わずそんな言葉がこぼれ出ました。私の名前が明記されたその画像には、左の肺に4センチほどのがんがハッキリと映っていたのです。いまから2年前の2019年10月3日、42歳の時のことです。

医師である母が、地元の神戸市に、自宅で最期を迎えたい患者さんのために立ち上げた在宅ホスピス「関本クリニック」の院長に就任したのがその1年前。私はクリニックの患者さんのケアばかりでなく、休診日には以前勤務していた市内の六甲ろっこう病院の内視鏡検査も手伝い、多忙な毎日を送っていました。

ところが、しばらくするとき込むことが多くなり、心配する妻に勧められて胸部CTを撮影してもらったのです。そこに、もう手術困難なほど大きくなったがんの影を見た時のショックは、とても言葉では言い表せません。

「ええっ! そんな、どうして……」

すぐ母に報告すると、電話口の向こうから悲痛な叫び声が聞こえてきました。現在関本クリニックの理事長を務める母は、日本における緩和ケアの草分け的存在で、これまで何千人もの患者さんを看取ってきた人です。そんな母も、大事な息子であり、自分の後継者でもある私が突如とつじょ見舞われた事態に、冷静ではいられませんでした。

「たぶん肺がんやわ……」

妻には直接伝えなければと思い、帰宅して報告すると、口に手を当ててその場にへたり込んでしまいました。驚いてやってきた9歳の長女、5歳の長男にも、自分ががんになってしまったことを躊躇ちゅうちょせず伝えました。普段から患者さんに、言葉の分かる年齢になったお子さんにはうそをついてはいけない、とお話ししている自分が、それを実践しないわけにはいかないと思ったからです。

すぐに精密検査を受けたところ、がんは既に脳にも転移しており、進行が最も進んだステージ4と確定。手術どころか、早ければ2、3か月で死んでしまってもおかしくない状態でした。

「そんな……ひどい……あなたは何も悪いことをしていないのに!」

「ごめん! ごめんな……本当にごめん!」

私は、病院に付き添ってくれた妻と一緒にただ泣くしかありませんでした。

関本クリニック院長

関本 剛

せきもと・ごう

昭和51年兵庫県生まれ。関西医科大学卒業後、同大学附属病院、六甲病院緩和ケア内科勤務を経て、在宅ホスピス「関本クリニック」院長。緩和ケア医として1,000人以上の看取りを経験する。平成31年ステージ4の肺がんと診断され、治療に取り組みながら医師としての仕事を続ける。著書に『がんになった緩和ケア医が語る「残り2年」の生き方、考え方』(宝島社)。