2020年8月号
特集
鈴木大拙に学ぶ人間学
対談
  • (左)大谷大学元講師岡村美穂子
  • (右)花園大学元学長西村惠信

人間・鈴木大拙を語る

鈴木大拙が亡くなって半世紀以上が経過したいま、その謦咳に接した人たちも数少なくなった。雑誌『禅文化』の編集などを通して大拙と接してきた西村惠信氏と、亡くなるまでの15年間、傍にいてその活動を支え続けてきた岡村美穂子さんはその貴重な証言者である。様々な逸話を交えてのお二人の対話から、人間味溢れる鈴木大拙の一面が明らかになる。

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大拙先生はいま、ここに

岡村 こうして西村先生とお会いするのは何年ぶりかしら。

西村 もう何年もお会いしておりませんね。しかし、美穂子さんはその頃と変わっておられない。

岡村 何をおっしゃいます(笑)。

西村 私は思いがけず長生きをしまして、2020年、ついに米寿べいじゅを迎えました。大拙先生の生誕150年という大切な節目に、長年大拙先生と行動を共にし、誰よりも先生をよくご存じの美穂子さんとお話ができることをとても嬉しく思っているんです。

岡村 私こそ、きょうは西村先生に学ばせていただきたいと思ってまいりました。

西村 ご縁をいただいて私も大拙先生には何度もお目に掛かることができましたし、先生についての著書や論文も書かせていただきました。だが、その存在は途方もなく大きい。この年になって、大拙先生が国際的に見てもいかに立派な人物であったかということがようやく少しずつ分かってまいりました。
80年以上禅僧、あるいは学徒として生きてきまして、大拙先生はまぎれもなく私の人生に大きな影響を与えてくれた方です。そういう意味でも、いわゆる評論家ではない見方ができると思っております。

岡村 お話のように2020年は大拙先生の生誕150年の節目ではありますが、私にとってはそういう数字は意味がないんですね。どうしてかというと、先生はいま、ここにいらっしゃるからです。

西村 ああ、大拙先生がいま、ここにいらっしゃる。

岡村 はい。まだ大拙先生がご存命の頃、私が「分からない、分からない」とグダグダ言っていると、先生はこぶしでテーブルをドーンと叩いて、「いまのが聞こえたかね。美穂子さん」とおっしゃるんです。そして「この拳の音は過去にも未来にも二度と同じものがない。その二度とない拳の音がいま聞こえたか」と教えてくださる。
つまり、一瞬一瞬が新たなりで、過去も未来もすべてがこの一瞬の中にある。私は先生の究極の教えがあるとしたらこの「即今そっこん」だと思うのですが、先生はいまもまったく違う次元で私のそばにいて見守ってくださっている。そんないきいきした気持ちをいつもいただきながら、毎日を生きているんです。

花園大学元学長

西村惠信

にしむら・えしん

昭和8年滋賀県生まれ。花園大学仏教学部卒業後、南禅寺僧堂柴山全慶老師に参禅。35年米国ペンデルヒル宗教研究所に留学し、キリスト教を研究。45年京都大学大学院博士課程修了。文学博士。花園大学教授・学長、禅文化研究所長などを歴任。平成30年仏教伝道文化賞受賞。『鈴木大拙の原風景』(大法輪閣)『禅語に学ぶ生き方・死に方』(公財・禅文化研究所)『キリスト者と歩いた禅の道』(法蔵館)など著書多数。

構えや衒いのない大学者

岡村 西村先生が大拙先生に最初にお会いになったのはお幾つの頃でしたか。

西村 花園大学4回生の時でしたから、22歳くらいだったでしょうか。大拙先生の名声が少しずつ聞こえ始めた頃で、京都の選佛寺せんぶつじで先生のご講話があるというので聞きに行きました。20人くらいの雲水うんすい(禅宗の修行僧)が正面で坐禅をしていたのをよく覚えております。
鈴木大拙とはどういう人だろうと思って待っていたんですが、驚いたのは会場に入られた時の様子です。演台の後ろに小さな仏壇があって、そちらを向いて拝まれるのかなと思ったら、仏壇をひと通り眺めただけで聴衆を向いて話を始められた。先生は小柄な方で、眉毛がとても長い。その風貌ふうぼうもまたビックリでした。

岡村 先生の眉毛は真っ直ぐ前に突き出ているんです(笑)。

西村 いや、いまだかつて、あのような風貌の人物を見たことがありません。世界的学者というと、スーツを着こなしシャキッとしたイメージがあるものですが、それとは対照的な茫洋ぼうようとした風采ふうさいが非常に印象に残りました。自然態というのか、「これから何かを話すぞ」という構えやてらいのようなものが全くない。どこかスーッと抜け切ったところがありました。

岡村 先生は本当にそのような抜け切ったお方でしたね。

西村 次にお会いしたのは、私がアメリカ留学を終えて京都で禅文化研究所の設立に関わっていた時です。1964年、大拙先生には雑誌『禅文化』の創刊に際して貴重な一文を寄せていただいたことがあります。
その後、「慧能えのう禅と現代」と題した講演会を京都会館で開き、大拙先生が大勢の人を前にお話しされたと思いますが、よく覚えているのが、1時間半の講話が終わると、会場の後ろのほうから「もっとやれー」という声が掛かったんです。先生は驚く様子もなく、「そうですか」と静かに答えて30分くらい話を続けられました。これにも驚きました。

大谷大学元講師

岡村美穂子

おかむら・みほこ

昭和10年アメリカ・ロサンゼルス生まれ。ハンター・カレッジ、コロンビア大学に学ぶ。『ザ・イースタン・ブディスト』編集員、大谷大学講師などを歴任。15歳の時にニューヨークで鈴木大拙と出会い、亡くなるまでその活動を支える。著書に『大拙の風景 鈴木大拙とは誰か』『思い出の小箱から 鈴木大拙のこと』(共に燈影撰書)など。