2025年7月号
特集
一念の微
対談
  • 大峯金峯山回峰大行満柳澤眞悟
  • 比叡山十二年籠山行満行者宮本祖豊

我が修行に
終わりなし

1,300年の歴史を持つ大峯修験道。柳澤眞悟師は、記録に残る限りこの歴史の中で初めて大峯山千日回峰という苛酷な修行を満行した行満である。柳澤師の特筆すべきは、百日回峰行を2回満行後、自身の心境に納得せずさらに厳しい千日回峰行に挑むという、妥協を許さぬ求道心である。この度、弊社より『積徳のすすめ』を上梓した比叡山十二年籠山行満行者・宮本祖豊師と共に、これまでの修行人生や修行を通して得た人生の知恵を語り合っていただいた。

    この記事は約26分でお読みいただけます

    苛酷な〝動の行〟〝静の行〟を満行して

    柳澤 きょうは遠路、奈良・吉野まで足をお運びいただきありがとうございます。宮本さんが新しく出された『積徳のすすめ』(致知出版社)も大変興味深く読ませていただきました。

    宮本 恐れ入ります。柳澤さんは修験道で知られる吉野山・きんせんの百日かいほうぎょうを2回、続けておおみねさん修験道1,300年の歴史で初めて千日回峰行を満行まんぎょうされた行満ぎょうまんでいらっしゃるわけですが、かねがねその求道心の強さには心から敬服しているんです。きょうは久々にお会いできることを楽しみに、えいざんのほうからまいりました。

    柳澤 いや、私などまだまだです。むしろ、厳格な規律を守られ修行された宮本さんの僧侶としての姿勢にいつも圧倒させられているのは私のほうですよ。
    こうして親しくお話しするようになったのは確か五年ほど前からですね。てんかわべんざいてんで当時、たきぐちゆうじょう・善光寺貫主かんすが導師を勤められた弁財天よくしゅという密教の法要がありまして、そこに宮本さんも出仕されていました。宮本さんの『覚悟の力』(同)という本をいただいたのも、その時かと。

    宮本 ええ。よく覚えております。

    柳澤 その後、天台宗に伝わる密教の供養法、しゃもんてんの供養法を伝法いただいたりと、今日までお付き合いいただいているわけです。

    宮本 柳澤さんは覚えていらっしゃらないでしょうが、実は30年以上前に一度、お会いしているんです。1989年に行われた比叡山のおおの際、私共若い修行僧にがいの吹き方を教えてくださったのですが、どこか近づきがたい威厳を感じてとてもお声は掛けられませんでした。
    私が比叡山浄土院で行った十二年籠山行ろうざんぎょうがお堂にもって行う
    〝静の行〟とすれば、山岳を回る回峰行は〝動の行〟。柳澤さんと私とは正反対の行をしてきたわけで、柳澤さんと同じ行をやりなさいと言われても到底真似できるものではありません。その意味でも、とても尊敬申し上げているんです。

    柳澤 宮本さんが普通の僧侶とは違うと私が感じたのは、比叡山明王堂でなみこうげんだいじやが堂入りをされた時のことでした。私も随喜ずいき参拝させていただいておりましたが、共に堂入りの法要に随喜参拝されていた宮本さんのお姿を拝見していると、気が動かないというか、一切の動揺が感じられない。いついかなる時も気が定まっている。このような坊さんは他にいないと強く感銘を受けたのをいまでも覚えております。

    大峯金峯山回峰大行満

    柳澤眞悟

    昭和23年長野県生まれ。家業の農業を経て25歳で金峯山修験道・金峯山寺の門を叩き当時の管領・五條順教師に師事。昭和50年から2度にわたり大峯金峯山百日回峰行を満行。59年には8年をかけて千日回峰行、同年秋に四無行を満行する。現在、金峯山修験本宗総本山金峯山寺長﨟、金峯山寺塔頭成就院住職、北野修験道場行蔵院住職。

    生死を超えてこそ真の修行

    宮本 柳澤さんとは親しくさせていただいていますが、なかなかこういう機会はございませんので、きょうはこれまでの歩みを心ゆくまでお話しいただきたいと思っております。何でもお父様が修験者でいらっしゃったとか。

    柳澤 ええ。私は1948年の生まれですが、長野の農家の息子でございましてね。父は仕事の合間を縫っては御嶽山おんたけさんなどの修行をやっていました。ただ、私が小学3年生の時に亡くなりましたので、修行について話を聞くということはついぞございませんでした。
    私はもともと体が弱く、幼い頃は母親に連れられていつも医者通いをしていたんです。ところが、小学3年生の時の担任の先生がとても元気な方で、その影響もあって病気をしなくなりました。高校2年生の時に5キロの競走でいきなりクラスのトップとなり、それ以来、7年間は駅伝やクロスカントリーの選手として上位を目指しましたが、思うような成績は残せませんでした。
    卒業後は農業専門学園に進んで家業の農業に従事しておりましたが、22、3歳の頃でしたか、比叡山浄土院の十二年籠山行の様子をたまたまテレビで見ましてね。延々とたいとうをされる籠山僧の姿にいたく心を打たれました。

    宮本 お父上が修験の行者でいらっしゃったことと重なり合う部分もおありだったのでしょうね。

    柳澤 ええ。もちろんそれもあったのでしょう。修験道を開いたえんのぎょうじゃあこがれを抱いていて、何も分からぬまま寒中に水行をしたり、断食をしたりしておりました。しかし、何か物足りぬ気持ちがして1974年2月、父親が縁のあった金峯山寺の門を叩いたんです。小僧生活はご本尊であるおうごんげんへのお勤めやなどが中心ですけれども、入山した年の秋、師僧である金峯山寺の当時のじょうじゅんきょうかんれいが堂入りをされたんです。この堂入りは「の行」と呼ばれ、9日間、食べること、水を飲むこと、眠ること、横になることの4つを断ち、ひたすらさんろうしてお勤めをするものです。
    私は先輩の修行僧と2人で師僧の身の回りのお世話をしておりましたが、7日目になると死臭がしてくるんですね。師僧はその時49歳でいらっしゃいましたが、限界を感じられたのか、7日目に遺書をしたためられました。それでも何とか9日間の難行を満行なさり、そのご様子を見ながら「修行とはこういうものなのか。生死を超えるくらいまでやらないと修行ではない」ととても感動したんです。その経験は強烈でした。

    宮本 そのことが回峰行を発願ほつがんされるきっかけにもなるわけですね。

    比叡山十二年籠山行満行者

    宮本祖豊

    昭和35年北海道生まれ。59年出家得度。平成9年好相行満行。21年比叡山で最も厳しい修行の一つである十二年籠山行満行を果たす(戦後6人目)。比叡山延暦寺円龍院住職、比叡山延暦寺居士林所長などを経て現在は観明院住職、叡山文庫文庫長を務める。著書に『覚悟の力』、最新刊に『積徳のすすめ』(共に致知出版社)。