2022年2月号
特集
百万の典経てんきょう  日下にっかともしび(とう)
対談
  • 心理学博士(左)榎本博明
  • 授業道場野口塾主宰(右)野口芳宏

日本の教育の危機を救え!

深刻化する学力低下、若者の読書離れ、教育現場の荒廃、迷走する教育行政……。様々な難題・課題を抱える日本の教育は、まさに危機の渦中にある。いかにして日本の教育を立て直し、変化激しい時代を逞しく生き抜く子供たちを育てていけばよいのか。その処方箋を、長年学校教育に携わり、後進の育成にも情熱を注ぐ野口芳宏氏と、心理学者・教育者として日本の教育現場の現状に警鐘を鳴らしてきた榎本博明氏のお二人に、縦横に語り合っていただいた。

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若い人たちを鍛えられない時代

榎本 野口先生、初めまして。先生のご著書を拝見し、非常に共感するところが多く、きょうはとても楽しみにしてまいりました。

野口 こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。私は学校現場だけで過ごした人間なんですね。組合活動の役員もやらず、教育委員会にも行かず、国語教師として38年間、子供たちと徹底して向き合って定年を迎えたんです。
そして教師を辞めた後、これまでの経験を生かして何かやれることはないだろうかと、66歳で始めたのが「授業道場 野口塾」です。塾の開催を相談したある先生は、まあ2、3回は続くだろうと思っていたようですが、これまで22年間続き、コロナ禍のオンライン開催を含めると、270回以上になります。
野口塾では、具体的な授業の進め方から教師としての心構え、当然知っておくべき日本の歴史まで幅広く伝えています。野口塾を通じて若い教師たちと縁がつながるというのは、私のような年寄りにとっては本当にありがたいことだし、励みになるんですね。

後進に自らの体験を伝える野口氏

榎本 素晴らしいご活動です。私はもともと心理学の中でも人格形成、特に自己形成を専門に研究してきまして、大学でも35年以上学生を教えてきました。現在はMP人間科学研究所代表として、大学の授業や研究活動に加え、本の出版、講演の3つを軸に活動しています。
その中で実感しているのが、ちょっとしかられただけで落ち込んだり、傷ついたりする、耐性がないというか、心の弱い学生が年々増えているということなんです。
ですから、私は本や講演で、「心を鍛える」ことの大切さを訴えてきたんですが、例えば、学校の先生の会でそうした話をすると、「ハラスメントだ、体罰だと、生徒を厳しく鍛えられない時代になった」「子供を厳しく育ててくださいと言ってくる親御さんが少なくなった」「厳しく指導すると親御さんにやめてほしいと言われる」といった声が寄せられ、保護者の意識を変えるような働きかけをしてほしいといった要望が出るんですね。世論がおかしな方向に行ってると。

野口 ああ、厳しくするなと。

榎本 ただ、社会に出れば思い通りにならないことばかりですし、その厳しい現実にもへこたれずに生き抜いていかなくてはいけません。厳しい現実を生き抜く力、心の耐性をつけてやるのが本来の教育の役割なのに、いまは学校の教師にせよ、家庭の親御さんにせよ、目の前の子供が傷つかないように、失敗しないようにという配慮ばかりしている。私はそんな教育は子供たちのためにならないし、間違っていると思っています。
それから、いま盛んに言われている「めて育てる教育」にも私は警鐘けいしょうを鳴らしてきました。もちろん、子供を褒めることは大切です。しかし、ただ褒めるだけで終われば、褒められなければやる気が起こらない、失敗しそうな難しい課題には挑戦しない、そういう子供になってしまうでしょう。
野口先生のご著書のタイトルには、『授業で鍛える』『学級づくりで鍛える』など、「鍛える」という言葉が入っていますが、実際に子供たちを鍛えて心の耐性を強くすること、失敗を恐れずに挑戦する心を育てる大切さを強調しておられて、本当にその通りだと読み進めながら共感しきりでした。

野口 タイトルの「鍛える」という言葉は、榎本先生がいまおっしゃったような教育界の風潮もあって、1980年代の出版当時は評判が悪かったんですよ。
ところが、編集者も「『鍛える』でいきましょう」と賛成してくれまして、いざ出してみると、これが非常によく売れた。5年ほど前には出版社の「名著復刻」シリーズに入り、ベストセラーではないですが、ロングセラーとしていまだに売れ続けています。しかも、そのシリーズ12冊のうち6冊が私の本なんです。やはり、何事も本物なら時を超えて伝わっていくのだと改めて思いましたね。その上に榎本先生のような立派な立場の方が、私の活動や主張に共感してくださるというのは非常に嬉しいことですし、また、こんな方がいらっしゃったのかと驚きました。ですから、私もきょうの対談は本当に楽しみしてまいりました。

授業道場野口塾主宰

野口芳宏

のぐち・よしひろ

昭和11年千葉県生まれ。33年千葉大学教育学部を卒業後、国・公立小学校の教諭に。平成4年校長に就任。8年定年退職し、北海道教育大学教授に。13年退官。現在は植草学園大学名誉教授を務める傍ら「授業道場 野口塾」を主宰し、現役教師の指導に取り組む。著書に『教師の心に響く55の名言』(学陽書房)『授業づくりの教科書道徳授業の教科書』(さくら社)『名著復刻 授業で鍛える』(明治図書出版)など多数。

本当に「楽しい授業」は風前の灯

榎本 先生のご著書で学びになったところはまだまだたくさんありまして、例えば、子供たちに言いたいことを言わせるのではなく「言うべきことを言う」「分からないことを自覚させることが大事だ」という教えは、自分の教育現場での経験とも非常に重なるものがありました。
というのも、いまの大学現場では、学生が授業中に私語をしていても、寝ていても注意しないことが多いんですよ。ですから、私が自分の授業で騒いでいる学生を注意すると、「他の先生は注意しないのに」と抗議がくることもあるんです。教員の側も「やる気のない学生は寝てくれたほうがやりやすい」などという人までいるほどです。前の席で真面目に講義を聴いている学生が「騒がしくて先生の声が聞こえない授業があって勉強できない。学費を返してほしい」と相談してきたこともありました。
また、大学だけでなくどの学校段階でもそうですが、とにかく学生が楽しいと感じる授業をしなければいけないという風潮があって、私が資料を読んだり、論文を書けるようになる授業を学生にしているのに対して、「うちの大学の学生にそこまで指導する必要はない」などと注意されたこともあります。「私のゼミでは、学生に椅子取りゲームをさせて友達づくりの支援をしている」という先生までいて、もう衝撃を受けました。

野口 それは驚きですね。

榎本 やはり、本当の「楽しい授業」とは何かが分かっていない教育関係者も多いんですね。いままで分からなかったことが、学びを深めることで分かるようになり、自分の心の世界が広がり、分からなかったことが分かるようになり、さらに知りたくなる。そこに楽しみ、喜びがあるということに気づかせるのが、本当の楽しい授業だと私は思うんです。

野口 おっしゃる通りですね。

榎本 実際、ゼミの学生に論文指導をしていますと、最初は大変だと文句を言ってくるのですが、難しいと感じた書物や資料が読めるようになっていくにつれて、どんどんやる気になってきて、学部生なのに学会で発表したり、心理学の専門職に合格する子が出てきたりしました。「授業」という以上は、遊びの時間じゃないんですから、まず何よりも勉強を通じて学ぶ楽しさを教えるべきなんです。

心理学博士

榎本博明

えのもと・ひろあき

昭和30年東京都生まれ。東京大学教育心理学科卒。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。川村短期大学講師、カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授等を経て、現在MP人間科学研究所代表。著書に『伸びる子どもは〇〇がすごい』(日経プレミアムシリーズ)『教育現場は困ってる―薄っぺらな大人をつくる実学志向』(平凡社新書)など多数。