2022年2月号
特集
百万の典経てんきょう  日下にっかともしび(とう)
対談
  • 東洋思想研究家(左)田口佳史
  • 広島県教育委員会教育長(右)平川理恵

古典の名著『大学』に学ぶ
修己治人の道

先哲の教えを現代に活かす

古来、日本の先人たちが修養の糧として学んできた東洋古典『大学』。人間や社会の原理原則を説くその教えは、この混迷の時代に大きな指針となるものである。広島県教育委員会教育長の平川理恵氏は、東洋思想研究家・田口佳史氏のもとで長年、古典を学んできた塾生の一人。トップ営業社員、起業家、民間人校長などの経歴を経て、現在は広島県にて様々な教育改革の陣頭指揮を執っている。その実践は『大学』の教えそのものと話す田口氏と共に、『大学』の教えを現代にどう生かすかを語り合っていただいた。

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古典を現代のバイブルとして読み解く

平川 田口先生、ご無沙汰しております。この度はお声を掛けていただき、とても光栄です。

田口 平川さんのご活躍、大変嬉しく思っています。私も多くの塾生を指導してきましたが、あなたほど自己を革新した人はいません。またそのチャンスを生かす努力も並ではない。リクルートの営業でトップを極めた後、起業家、中学校の民間人校長、さらに2018年4月には広島県知事に請われて県教育長にまでなられたわけでしょう。しかも、教育の世界でも評論家ばかりが増える中、数々の教育改革で大きな成果を上げられている。こんなことはなかなかできることではありません。
後で触れたいと思いますが、平川さんの生き方や考え方は東洋古典の『大学』と重なるところがとても多いんです。今回はそういう思いもあって、対談の相手としてお声掛けをさせていただきました。

平川 私は自分ではまだまだと思っていますので、過分なお言葉をいただき恐縮しています。

田口 平川さんが私の塾に通うようになられたのは確か20年ほど前でしたね。『大学』『論語』など四書五経ししょごきょうをはじめいろいろな古典を共に学んできましたが、あなたは何事もなおざりにされなかった。講義が終わって私が疲れていようがお構いなしに疑問に思ったことは何でも質問をぶつけてこられた(笑)。自分が納得するまで徹底して追究するこの姿勢がいまの平川さんを育て上げたと思うんです。

平川 確かに私は、先生から「昔、こういう偉人がいた」と聞くと、すぐに本を読みたくなり、場合によってはその土地にまで行ってみなくては気の済まない性格なのです。横井小楠しょうなん(幕末の思想家)について教えていただいた後、記念館がある熊本に飛んで史跡を巡ったこともありました。
先生もご存じのように、私は30代半ばの頃、とても悩んでいました。経営する留学斡旋あっせん会社はうまくいっていたものの、「このままの生き方でいいのか」と心に引っかかるものがありました。それに、娘を一人で育てることになって「何でこんなことになっちゃったんだろう」という悩みも抱えていたのです。友人がそんな私に田口先生を紹介してくれて、塾に通わせていただくようになりました。
何かと悩みや迷いが多かった私にとって先生に教えていただく古典の教えは何よりの励みで、ノートに書き留めては一つひとつを噛みしめていました。考えた末に会社は売却し、教育の仕事に携わるようになるわけですが、いまの私があるのは先生のおかげと言っても過言ではありません。もちろん、先生の教えが自分の成長にどれだけつながっているかと思うと、心もとない限りなのですけれども。

田口 いまの平川さんのお話、聞いていてとても嬉しかったですね。というのも、私の講義は古典を古典として捉えるのではなく、現代のバイブルとして読むことを大切にしているからです。要するに悪戦苦闘する日常生活での答えを、古典の教えを通して読み解こうとしている。平川さんの悩みが古典によって解決したのなら、私にとっては望外の喜びです。

東洋思想研究家

田口佳史

たぐち・よしふみ

昭和17年東京生まれ。日本大学芸術学部卒業後、日本映画社入社。47年イメージプランを創業。著書に『佐久間象山に学ぶ 大転換期の生き方』をはじめ『ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義』『人生に迷ったら「老子」』『横井小楠の人と思想』『東洋思想に学ぶ人生の要点』『「書経」講義録』など。最新刊に『「大学」に学ぶ人間学』(いずれも致知出版社)。

日本人の人格を築いた『大学』の教え

平川 田口先生はこの度、致知出版社から『「大学」に学ぶ人間学』というご本を出版されましたが、どのような思いをそこに込められたのですか。

田口氏の新刊『「大学」に学ぶ人間学』

田口 私がこの本に込めた思いはとても強いものがあるんですね。『致知』でも何度かお話ししましたが、私は映画会社に勤めていた25歳の時、タイのバンコクで水牛を撮影中に角で突き飛ばされて、瀕死ひんしの重傷を負いました。「もう駄目かな」と落ち込む中、ある在留邦人の方が差し入れてくれた『老子ろうし』を読んで救われました。
死んだとしてもそれはそれで意味があると思っていたのですが、奇跡的な快復を遂げて自国に辿たどり着くことができた。そこで何とか老子にご恩返しをしなきゃいかんと思って、何度も老子に問い続けていると、決まって「今度はおまえが助ける番だ」という声が伝わってくるんです。
とはいっても、私は身体障碍者しょうがいしゃになってしまったし、自分にできることは何かと考えて「『老子』に命を生かしていただいたのなら、皆さんに『老子』を語れるだけの人間にならなくてはいけない」と思い至りました。その日からですよ。毎日2時間、古典の典籍てんせきを読み続けることを自分自身に課したのは。

平川 50年以上経ったいまも、毎日欠かさず続けられているそうですね。

田口 はい。それで10年ほど前からでしょうか。儒家じゅかばかりか仏教、神道しんとうなど古典の典籍が「これを説いてほしい」と強く訴えてくるのを感じるようになりました。聞き耳を立てて自分を整理すると、どうやら典籍が一つのことを言っていることに気づいたのです。それは要するに宇宙の根源の偉大さと、その根源と人間との深い関係です。
宇宙の根源について儒家は天、仏教は仏、道家どうかは道、神道は神という言葉で説きます。本日のテーマである『大学』は50回以上講義をしてきたと思いますが、いまようやく分かってきたのは、宇宙の根源と人間との関わりをこんなにも単純明快に書いた本は他にないということです。それが分かってからというもの、私は常に感嘆しながら『大学』の講義をするようになりました。
朱子しゅしは『大学』を「孔子の遺言」とまで言い切っています。儒家の大山脈があるとしたら、その最も高い部分を説くのが『大学』ではないかという実感が、私の中で日々強まっているのです。

平川 長年、研究を続けられてきたからこそお分かりになる世界でしょうね。

田口 これは古典がいかに現実の生活の中で意味を持つかということとも繋がってくる話ですが、少し幕末を考えていただきたいのです。当時、幕藩体制はガタガタで、このままいくと日本は植民地にされかねないという状況でした。それを押し止めたばかりでなく、近代国家の仕組みを構築し、産業革命を推し進めるという国家的大事業を成し遂げたのは平均年齢30歳前後の我われの先輩です。
では日本はその頃、財政的に潤い、地下資源があり、軍備が充実していたかというとまったくそうではありませんでした。それでは、なぜアジアで日本だけがそれをなし得たかというと、これは人間力としか言いようがないわけですね。私たちはこの時代の人たちがいかなる教育を受けていたかということにもっと関心を払うべきです。

平川 おっしゃる通りです。

田口 私も調べてみたのですが、分かったのは私がこれまで熱心に学んできた四書五経は、実は江戸期における子供たちの教科書にすぎなかったという驚くべき事実です。その教科書の中でも、最初に習ったのが『大学』なのです。人間の基本となる生き方、大義を説く『大学』の教えを、6歳の子供たちに刷り込んでいたわけです。それを考えると、『大学』が当時の日本人の人格形成にいかに大きな役割を果たしてきたかが分かるのではないでしょうか。

広島県教育委員会教育長

平川理恵

ひらかわ・りえ

昭和43年京都府生まれ。平成3年同志社大学文学部卒業。リクルート入社。情報誌の営業を担当しトップセールスとなる。9年南カリフォルニア大学にMBA留学。11年退職。留学支援会社設立。21年会社を売却。22年横浜市の民間人校長公募により市立市ヶ尾中学校長などを歴任。30年広島県教育委員会教育長となり様々な教育改革を手掛けている。