2018年6月号
特集
父と子
対談
  • 染色家、人間国宝森口邦彦
  • 中村外二工務店代表 数寄屋建築棟梁中村義明

父から受け継いだ
父子相伝の道

昭和を代表する染色の名匠といわれた森口華弘氏を父に持ち、親子2代で人間国宝に認定された染色家の森口邦彦氏。日本の伝統建築である数寄屋建築の匠として、数々の名建築を手掛けてきた中村外二氏を父に持つ中村義明氏。父の教えを受け継ぎながらも、ともに独自の世界を切り開いてきたお二人が縦横に語り合う、父と子のあり方、そして父から子へ受け継がれしもの──。

この記事は約25分でお読みいただけます

※対談は、数寄屋建築の第一人者・中村外二氏が80歳の時に設計した京都のご自宅にて行われた。

ともに偉大な父を持つ2人

中村 きょうは染色家として高名な森口さんと「父と子」をテーマにご対談できるということで、とても楽しみにしておりました。
私の父である中村外二そとじは、明治39(1906)年の生まれでしてね、もともとはここ京都ではなく、富山の生まれなんです。

森口 そうですか。私の父、森口華弘も明治42(1909)年の生まれで、京都を拠点に仕事をしていましたが、出身は滋賀県守山です。富山はどの辺りですか。

中村 富山の石動いするぎ(現・小矢部おやべ市石動町)といって、職人の町ですよ。ですから、父の叔父も大工の棟梁とうりょうをしていました。それで父は13歳で大工修業に入って、25歳の時に京都に出たんです。
私には兄と2人の姉がいるんですが、兄は1歳で戦争中に病気で亡くなりましてね。次男の私は父が40歳の時の子供ですから、とても大事に育てられました。ただ父は出張が多くて、仕事でほとんど家にはいませんでしたけど。

森口 外二さんは、やっぱり茶室関係の仕事が多かったのですか。

中村 1940~50年頃は料理屋さんの仕事が多く、茶室の仕事は、1953年に裏千家の出入方になってから多くなりました。

森口 この建物もとても素晴らしいですね。ここも外二さんが? 

中村 この建物は父が80歳の時に建てた自宅なんです。ただ庭石などは仮に置いているだけで、いまも庭をつくったり、いろいろやってます。いつも工事中です。

森口 まだつくっている最中なんですね。ちなみに、あそこに見える工事中の基礎は茶室ですか。

中村 ええ、茶室です。そんなに大きな茶室でもないし、早くつくってしまおうとは思っているんですが、仕事が忙しくて……。

森口 なかなか進まない(笑)。

染色家、人間国宝

森口邦彦

もりぐち・くにひこ

昭和16年京都府生まれ。京都市立美術大学卒業後、22歳で渡仏し、パリ国立高等装飾美術学校でグラフィックデザインを学ぶ。41年帰国し、父・森口華弘の工房に入門。42年日本伝統工芸展に初出品初入選。以後受賞歴多数。平成19年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。

人間が持つ力には内と外の力がある

中村 私は海外の仕事もたくさんやっているんですが、ハーバード大などの学生が30人ほどのグループになって、中国や韓国、インド、日本といったアジア諸国を歩くという教育プログラムがありましてね。日本に約1週間滞在するうちの一日が京都なんですよ。
それで私が彼らを案内して、この父の自宅にも招いて議論などをするんですが、その時にね、「中国やインドに行けば、日本文化のもとになったものが全部見られるのに、なんでわざわざ日本に来るの?」と、ちょっと嫌な質問をしてみるんですよ。そうしたらある生徒が次のように言ったんです。
「日本の伝統建築は生きている」。

森口 それはすごい。

中村 つまり、法隆寺でお坊さんが生活しているように、日本の伝統建築は1000年経っても使われていると。この近くの日本で一番古いお菓子屋も、もう1000年経っています。でも、お菓子の中身は時代の変化に合わせて変わっている。
そこが日本文化のすごいところで、なぜそうなったのかいろいろ考えたら、やっぱり江戸時代の鎖国がよかったんじゃないかと。鎖国が日本独特の文化を守った。

森口 確かに、鎖国がなかったらもうだめでしたね。徳川幕府はものすごく頭がよかったと思う。
各藩を独立させて土木工事や文化政策などを全部請け負わせ、財政的に疲弊ひへいさせることで反乱が起こらないようにしながら、徳川中心の国の形を保っていったでしょう? で、鎖国して外国の文化も入ってこられないようにした。
その徳川250年の鎖国の時代の中で、象徴的な支配者としての皇室、武力を持って統治する武家、資金力で実権を握る商人という三者が一体となって日本の文化を大いに育てていったんです。

中村 そうですね。ただ、いまの若い建築家なんかは、ヨーロッパの知識ばっかりですから、日本の伝統なんていうと、古いとか言って初めから毛嫌いするんです。
それで私は立命館大学出身なんですけど、大学生の頃は学生運動が盛んで、大学の卒業式はありませんでした。森口さんは……。

森口 私は60年安保です。

中村 あ、私は70年安保。

森口 私のほうが先輩(笑)。60年安保はね、京都はもうすごかったですよ。

中村 いや、70年安保も京都はすごかった。新しいものをつくろうと思ったら、とにかく古い価値観、伝統をぶっ壊さないといかんと。でもね、私ら伝統建築に携わっている人間には、ぶっ壊したくても、ぶっ壊せないんです。
先代がなぜこうしたか、材料をどうするかとか、そういうものとの取っ組み合いから、新しい技術も生まれてくるんであってね、絶対に伝統は消せないんですよ。

森口 自然から素材を取り出して人間のよりよい生活に役立てる。そのためには知恵がいるんですが、それはインテリジェンスなんですね。ただ、そうしたインテリジェンスは学校の勉強で教わるような知識ではなくて、人間の手が持っているもので、師から弟子、親から子へとDNAで伝わっていくものです。中村さんも外二さんのDNAから伝わったものが……。

中村 いや、そんないいものがあるのかは分かりません(笑)。

森口 きっとね、中村さんの目や手の五感の中にあるんですよ。それが本当の伝統だと思います。

中村 それはありますよ。ただDNAも大事かもしれませんが、私が人間の力の中で一番大きいと思っているのは「外の力」です。

森口 外の力ですか?

中村 人間、才能とかDNAとか「内の力」は大したことない。皆平等なんです。学力でも一所懸命勉強すれば皆そこまで変わりはない。
でも家族や友人、いろんな周りの人たちを含めた外の力は違うんです。「あぁ、外二さんのところなら、特別にいいもの売ってあげる」という感じで、私の場合の外の力は、やっぱり父がつくってくれました。父の人柄についてきた多くの人たちが、いま私の応援団になってくれて助けてくれているんです。もちろん、本当のだめ息子だとその外の力も継げませんよ。
森口さんにも、私と同じように家族や父親から受け継いだ外の力がすごくあると思うんです。

森口 もちろんあるでしょうね。

中村外二工務店代表 数寄屋建築棟梁

中村義明

なかむら・よしあき

昭和21年京都府生まれ。44年立命館大学経営学部卒業後、中村外二工務店入社。大阪万博日本庭園内茶室、ニューヨーク・ロックフェラー邸、伊勢神宮茶室、京都迎賓館主賓室座敷など、国内外の数多くの建築に携わる。平成9年より現職。