2019年11月号
特集
語らざれば愁なきに似たり
  • 元香川県香南町教育長栗永照彦

亡き戦友たちの
思いを抱いて生きる

栗永照彦氏は大東亜戦争時、最も若年の特攻隊員として多くの先輩隊員を見送った。92歳のいまなお、翼を振り沖縄の空に消えた隊員たちのことを語り継ぐのは、現在の日本に対する強い危機感があるからだという。栗永氏の貴重な証言と祈りに似た声に耳を傾けたい。

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戦友たちは「尊い犠牲者」ではない

私は92歳になるいまも、時折、講演会の講師としてお招きいただくことがありますが、決して皆様方の前で何かを話すほどの人間ではありません。一介の下士官だった私が大東亜戦争について語るのは、どこかおこがましいという思いすら抱いています。

それでも、私が話を続けようと思うのは、あることをお伝えせずにはいられないからです。それは亡くなった戦友たちを「尊い戦争の犠牲者」と呼ぶいまの日本人への反論と警鐘けいしょうです。

2019年の終戦の日もメディアでは盛んにそのような言葉が繰り返され、私は怒りにも似た感情を抑えることができませんでした。戦友たちは日本という国や家族を守るために戦って散った紛れもない英霊えいれいであり、断じて「尊い戦争の犠牲者」などではないのです。

私たちは親や家族が亡くなれば丁寧に葬り、その足跡を子々孫々に語り継ごうとします。戦地で亡くなった人たちもまったく同じはずなのに、なぜそのような当たり前の見方ができないのでしょうか。当たり前の見方ができないどころか、戦争の当事者として糾弾し、「銃口」を突きつける向きすらあります。自分たちが守ろうとした同じ日本人から銃口を向けられる。英霊にとってこれほど悲しく屈辱的なことはありません。私はいま日本各地で起きている様々な事件や犯罪は、そういう英霊に対する敬意や感謝の念を忘れてしまったことにその大きな原因があるのではないかとすら思っています。

大東亜戦争が終わって74年。私はいまも戦友たちと一緒に生き続けています。その時に交わした言葉や表情もありありとよみがえってきます。日本のために生き、死んでいった幾多の先人がいたという事実を、いまの時代だからこそ日本人は知らなくてはいけないのです。

元香川県香南町教育長

栗永照彦

くりなが・てるひこ

昭和2年香川県生まれ。海軍での戦争体験を経て戦後は同県の公立中学校教師となり、香南町(現・高松市)教育長などを歴任した。